前回は「真珠湾奇襲攻撃 77〜凱旋帰国へ・ウェーク島攻撃・草鹿龍之介・宇垣纏・山口多聞・山本五十六〜」の話でした。
ルーズベルト大統領の演説原稿


推敲に
推敲を重ねた演説だ!
ハル長官と相談しながら、極めて慎重に作成した演説原稿。





この原稿の作成には、
私の多大なエネルギーと時間をかけた・・・
実際、この原稿作成にルーズベルト大統領は、この数日間全てをかけてきました。
そして、議会演説の直前、最後の最後までチェックを重ねるルーズベルト大統領。



ここは、
こう言った方が伝わるか・・・



ここは、
もう少しシンプルに分かりやすく・・・



ゆっくりと、落ち着いて
聞こえやすい声で話すのだ!
万全の上に万全を期すルーズベルト大統領でした。
ルーズベルト大統領の米議会演説



よし!
行くぞ!



米議会で
演説しよう!
いよいよ、ルーズベルト大統領が米議会で演説します。


凄まじく険しい形相で演説に臨むルーズベルト大統領。



昨日、
1941年12月7日・・・



この日は汚名と共に、
記憶されることであろうが・・・



我がUSは、大日本帝国の
海軍・空軍のによる・・・



意図的な
奇襲攻撃を受けました!
事前に、日本の電報を解読していたルーズベルト大統領。





Japanを、
とことん辱めるのだ!



日本の要請により、
同国政府・天皇との対話を続けてきた・・・
昭和天皇は、直接米国とは接していません。


いずれにしても、米国にとっては、昭和天皇か東條首相が「日本の代表」です。



最近、ハル国務長官が
送った書簡に対して・・・



駐米日本大使は、公式回答書を
ハル長官に提出してきた。
日本側が「最後通牒」と受け取った「ハルノート」の話です。



しかし、日本政府の文書には、
戦争や武力攻撃の警告・暗示は全くなかった!
これは事実でした。


日本の思わぬ方向へ


日本側の野村・栗栖米国大使は、米国に対して、あくまで「友好的な姿勢」で交渉していたのです。
真珠湾奇襲攻撃が勃発した10日ほど前には、上の写真のように「朗らかな表情」を見せていた野村・来栖大使。
実際、野村・来栖両大使が「いつの時点で真珠湾奇襲攻撃を知ったか」は諸説あります。
立場上、いくらなんでも「10日前には知っていた」はずです。
この意味では、「愚か者」である野村・来栖両大使は「なかなかの曲者」とも言えるレベルでしょう。





ハワイと日本の距離を
考えれば・・・



昨日の攻撃は、数日前、あるいは数週間前から
計画されていたことは明らかである!
これも事実です。
ちょうど、ホワイトハウスで野村・来栖両大使がルーズベルト大統領と協議していた11月27日。
日米の時差がありますが、日本時間で11月26日に機動部隊は単冠湾を出撃しているのでした。



この間、日本政府は「持続的平和を希望する」
という偽りの声明と表現で・・・



我がUSを、故意に
欺いてきたのです!
日本側の「断片的ながら事実」を並べ立てるルーズベルト大統領。
そして、合理的に「米国の正当性」を完璧に主張するルーズベルト大統領。



Japanに、
100倍返しだ!
まさに「演説の鑑」とも言えるほどの、非常に分かりやすい演説でした。
真珠湾奇襲攻撃は、日本側の思わぬ方向に進んでいました。

