前回は「真珠湾奇襲攻撃 68〜大いに奮うハルゼー・先読みするキング・”Yamamoto”という存在〜」の話でした。
ぼやく草鹿参謀長


作戦完了!
大勝利だ!
と意気揚々だった草鹿参謀長。
ところが、



機動部隊は、続けてミッドウェー島を
攻撃せよ!
連合艦隊司令部は「ミッドウェー島攻撃」を指示してきました。





そんな馬鹿な
話があるか!



確かに、山口司令官他が
ハワイ真珠湾以外の攻撃を主張していた・・・



しかし、それは「そういう計画も考えられる」程度の
話だったはずだ!



いくらなんでも、
これは・・・
ぼやく草鹿参謀長。


重責を背負って、攻撃が完了した気持ちの南雲長官。



そうだ!
その通りだ!
機動部隊の苦労


実際は「奇襲攻撃」ではなく、「騙し討ち」になってしまった真珠湾攻撃。
ところが、もちろん当時の山本司令長官も、南雲司令長官・草鹿参謀長が知る由もありません。
そもそも、単冠湾から延々と真珠湾まで攻撃に行くだけでも、大変な苦労でした。
しかも、「日米交渉妥結時には、引き返す」という異例の任務。



大変な苦労をして、
ここまでやってきたのだ・・・





この苦労が、内地の柱島にいて、
分かるもんか!
確かに、日本国内(内地)から、はるばるハワイ真珠湾へ攻撃に向かうだけでも大変な苦労でした。
しかも、



日米交渉妥結の際には、
途中で引っ返してこい!
という無茶な要求までされた南雲長官と草鹿参謀長。
そして、山本司令長官・宇垣参謀長たちは、「命令を出すだけ」で、日本国内にいたのです。


連合艦隊司令部と赤城司令部の軋轢



山本長官は、わかってない!



いつ、戦死しても
おかしくはない環境だ!



非常な緊張の中、
懸命に真珠湾へ行ったのだ!



前線で航空戦を戦う若者も
大変な苦労だが・・・



我々、空母で作戦指揮する者も
大変な気苦労なのだ!
「凱旋将軍」の南雲長官・草鹿参謀長は、「新たな任務」に憤ります。



山本長官は、長く海軍省にいたから、
分かってない!
それは、事実だったのでした。
若き少尉の頃に、日本海海戦を戦った山本長官。


その後は長く海軍省にいて、いわば「軍政畑」の人間でした。
空母赤城の艦長を務める経験もしましたが、長い間「戦場には出ていない」のです。



戦場で戦う者の気持ちにも
なって欲しい!



そうだ。
常に「死と隣り合わせ」なのだ。
ミッドウェー攻撃に向かう気には、到底なれない南雲長官・草鹿参謀長でした。



これから、ミッドウェー
なんか行けるか!