真珠湾奇襲攻撃 35〜主役は空母へ〜|太平洋戦争

前回は「真珠湾奇襲攻撃 34〜大反撃を目論む米国〜」でした。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

若き日々に日本海海戦で少尉としてロシア海軍と戦った山本五十六。

左手の指二本を失う重傷を負いながらも、大海戦を戦い抜きました。

戦艦三笠に座乗する東郷平八郎連合艦隊司令長官(Wikipedia)

その後、主に軍政畑を歩み、海軍軍縮条約代表などで各国と交渉の中心人物となっていた山本長官。

早くに航空機・空母の可能性を見出した山本長官は、軍政側から、航空隊の整備の中心人物となります。

これからは、
航空機の時代だ!

長く勤めた航空本部長は「本部長」と言えども、海軍次官に匹敵するほどの権限を持っていました。

1934年のロンドン軍縮条約に海軍首席代表として出席する山本五十六(Wilipedia)

航空本部長時代に日本海軍の航空隊を育てることに尽力した山本五十六。

のちに永野修身が海軍大臣だった時に、永野の指名で海軍次官就任を要請され、断ります。

次官よりも、航空隊を育てることに
人生を尽くしたい!

永野修身 海軍大臣(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

次官就任を断るとは・・・

山本は、
私が嫌いなのかね。

いえ。そんなことはありません。

ならば、海軍次官を引き受けてくれ。

これ以上は、断れん!

承知しました。

本当は、「もっと航空本部長を続けたい」と考えていた山本五十六。

嫌々ながら、海軍次官を引き受けました。

海軍次官の後に、連合艦隊司令長官となった山本長官。

山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

これからは、空母だ!

と考えているものの、相応の年季があり、思考の柔軟性は若手に劣ります。

その若手の中で、最も「空母主軸」を唱えていた山口司令官。

山口多聞 第二航空戦隊司令官(WIkipedia)

これからは、空母だ!

我々が日本海軍を背負うのだ!

事前に「米空母エンタープライズとレキシントンが真珠湾に在泊しているだろう」と聞いていた山口司令官。

どちらかは、いるだろう。

我々が米空母を、
撃沈してくれる!

海軍内部でもライバル心燃える中、もっとも戦意が盛んだった山口司令官。

第二航空戦隊 空母飛龍(Wikipedia)

我が二航戦が米空母を沈めるのだ!

空母飛龍で、部下を叱咤激励していました。

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