前回は「トラ・トラ・トラ〜猛攻撃続ける日本の航空部隊・大戦果と見当たらぬ米空母・声を荒げる山本長官と不安な宇垣参謀長・大喜びの永野総長と及川大臣と東條首相〜」の話でした。
「いるはず」なのにいなかった米空母:愕然とする山本長官
なぜ、
敵空母は真珠湾にいないのだ?
ハワイ現地の諜報活動から「米空母は必ずいるはず」という確証を得て、その日に攻撃した機動部隊。
ところが、攻撃した1941年12月8日(日本時間)、ハワイ真珠湾に米空母は不在でした。
静かに、宇垣参謀長に「不在の理由」を尋ねた山本長官。
・・・・・
なぜ、
空母はいないのだ?
私にも
分かりません・・・
なぜ?
なぜこういうことが起こるのだ・・・
米国に暗号が全て傍受・解読されていた日本。
我が諜報部隊によると、
米空母は「いるはず」なのですが・・・
なぜか、空母だけが
いないのです・・・
ところが、日本も負けじと真珠湾にスパイを配置して、事前に真珠湾の状況を報告させていました。
米空母の停泊するタイミング:ハワイ日本軍の諜報部隊と吉川猛夫
ハワイに駐在し、
米太平洋艦隊を見守れ!
真珠湾のスパイは複数いましたが、有名なのは吉川猛夫です。
はっ!
「森村正」という偽名でハワイに滞在して、真珠湾の基地の情報をつかむよう奔走していました。
私は、ここでは
「森村正」という名前なのだ!
ほぼ毎日、真珠湾の見える店に通って、米海軍の戦艦・空母の在泊を確認していました。
米海軍の停泊している艦船にも、ある一定の規則がありました。
どうも米国の艦船の動きには、
一定の決まりがありそうだ・・・
われら日本人よりも、
週末を大事にする傾向が強い米国人・・・
近海を動いた後に、
週末に戻ってきて、真珠湾に停泊していることが多い・・・
綿密な調査をもとに、米艦船の動きをチェックし続けた吉川。
そして、「米艦船の動き方・米空母の停泊するタイミング」をしっかり把握していました。
実際に、米空母は週末に真珠湾に停泊することが多かったのです。
米空母は、
多くの場合、週末に真珠湾に停泊しています・・・
よくやった!
この情報を元に・・・
真珠湾奇襲攻撃の
決行日を決めるのだ!
そして、軍令部では、例年の真珠湾近海の海の荒れ具合、月の見え方などを含めて、
この流れだと、
攻撃は12月上旬頃・・・
日本時間の、12月8日頃が
ベストなようだな・・・
最終的に、攻撃日を決定しました。
もちろん、「空母が在泊する可能性の高い日」を選んで攻撃しました。
米空母不在の理由:暗号解読を夢にも想定しなかった日本軍
唇を噛み締めながら宇垣参謀長は、山本長官に応えます。
数日前までは、
諜報員の無電により・・・
空母エンタープライズとレキシントンが、
真珠湾在泊しているのを確認しているのですが・・・
それは、吉川らが報告したことです。
そして、このことは「事実」だったのです。
確かについ先日まで真珠湾にいた、米空母。
そして、それまでの米海軍の活動傾向から、
絶対、絶対に
米空母はいるはずだった・・・
奇襲攻撃の日に「いるはず」の米空母レキシントン・エンタープライズ。
だが、二隻とも、攻撃当日に真珠湾に見当たらなかったのです。
だが、
なぜだ・・・
一隻不在ならば、
まだ分かるが・・・
なぜ、こちらの出方を
知っていたかのように・・・
「いるはず」の米空母二隻が、
二隻ともいないのだ・・・
大いに訝しがる宇垣参謀長。
論理的に、
「二隻とも偶然」はあり得ぬ!
なぜだ・・・
なぜ、こんなことが・・・
まさか、日本の電文が傍受・解読されていたとは「夢にも思わなかった」宇垣参謀長でした。
次回は上記リンクです。