真珠湾奇襲攻撃 21〜新高山ノボレ1208〜|太平洋戦争

前回は「真珠湾奇襲攻撃 20〜万全の体制を取る米国〜」でした。

南雲忠一第一航空艦隊司令長官、山口多聞第二戦隊司令官らが率いる正規空母6隻の大空母機動部隊は一度、偽装進路をとって北上します。

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南雲忠一 第一航空艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

そして、択捉島周辺の単冠湾(ひとかっぷわん)で一度集結して、一路ハワイを目指します。

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南雲機動部隊のハワイ奇襲攻撃の航路図(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

1941年11月26日に単冠湾を出発して、ヒタヒタと静かにハワイへ迫ります。
その間も日米交渉は続けられており、野村大使とハル国務長官は交渉を続けていました。

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ハル長官と野村大使(左)来栖大使(右)(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

午前会議において、「1941年12月1日までに日米交渉妥結できない場合、宣戦布告」と決まりました。

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御前会議(Wikipedia)

日米交渉は決裂し、同年12月2日に日本から南雲機動部隊向けて開戦通知の暗号電文が発信されます。
有名な「新高山ノボレ1208」です。

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真珠湾攻撃命令文 新高山登レ(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

新高山とは当時日本領だった台湾最高峰の新高山のことです。
この暗号も米軍に傍受・解読されていました。
新高山登レ」の内容は、東條首相・東郷外務大臣・南雲司令長官等ごくごく少数の人間にしか分かりません。
解読した米軍は「なんのことだ?」と推測するしかありません。
しかし、この内容から米国は「いよいよ日本は攻撃してくるな」と考えます。

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Franklin Roosebelt米大統領(Wikipedia)

 

ハル国務長官と交渉を続けていた野村吉三郎・来栖三郎米国大使率いる大使館員は、困難な状況はわかっていたでしょう。

しかし、緊張感が欠如していました。

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野村吉三郎 米国大使(連合艦隊 勃興編上巻 世界文化社)

日本政府は「12月7日13:00(ワシントン時間)にハル国務長官に覚書を渡すように」と訓令を出します。
真珠湾奇襲攻撃は、その30分後の12月7日13:30(ワシントン時間)です。

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山本五十六 連合艦隊司令長官(Wikipedia)

宣戦布告となる米国への最後通告書は全て14通ありました。
そして13通までは、前日12月6日(ワシントン時間)の夕方まで送られていました。
この13通すべてを米軍は傍受・解読して、通訳した書類をルーズベルト大統領とハル国務長官へ届けます。
内容は宣戦布告ではありませんが、これまでの日米関係の歴史や日米交渉の経緯を詳細に綴ってあり「いかにも最後通告書」でした。

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Cordell Hull米国務長官(Wikipedia)

「いよいよ来たか!」とハル国務長官は、情報部に更なる電文の傍受・解読を指示します。
ハワイにいるキンメル米太平洋艦隊司令長官は何も知らされないままでした。

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Husband Kimmlel米太平洋艦隊司令長官(Wikipedia)

事実上の臨戦態勢に入った米国に対して、日本の大使館は安穏としていました。

訓令の最後の部分である「宣戦布告の部分」が届いていなかったこともあり、この訓令の重要性を認識していなかったのです。
風雲急を告げる中、ワシントン大使館員全員が、この訓令が「日本の命運を左右する最重要文書」であることに気づかなかったのです。

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東郷茂徳 外務大臣(Wikipedia)

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