前回は「真珠湾奇襲攻撃 17〜奇襲攻撃のタイミング〜」でした。

山本長官は悩み続けます。
「日本空母2,3隻撃沈の可能性あり」という図上演習の厳しい結果。
このを考えると、日本海軍の空母のダメージを最小限にするためには、「奇襲攻撃直前」に宣戦布告するのが良いのです。

奇襲攻撃の直前に、宣戦布告すれば良いのだが・・・
日本も批准していたハーグ条約では、「最後通牒・宣戦布告なしに戦争を始めてはならない」という規約があります。
政府と軍部の間で宣戦布告に関して議論がされ、東郷茂徳外相は「最後通牒」として米国へ交渉打ち切りを提言します。





交渉決裂の場合、いつ、米国に最後通牒を出しますか。
しかし、奇襲攻撃の発覚を懸念した山本長官はじめとする海軍は、出来るだけ直前の宣戦布告・最後通告を要望します。
ハーグ条約では宣戦布告を実際の戦闘の「どのくらい前の時間までにしなければならない」という規定はありません。
理論上は、戦争開始一分前でも良いのです。
危険を承知で、真珠湾奇襲攻撃を裁可した、永野軍令部総長。





一分前というわけには、いかないから・・・



一時間前か、二時間前が妥当な線だろう。
作戦実行責任者の南雲第一航空艦隊司令長官。





あんな遠くまで、米海軍に見つからずに攻撃に行くだけで、大変です。



無理のない計画にして欲しい。
山本司令長官・南雲長官・永野総長で「1時間前か2時間前か」と相談します。
最終的に山本長官が、またもや押し切ります。



奇襲攻撃の30分前に、米国に宣戦布告して頂きたい!



30分前ですか・・・



海軍軍人は命をかけているのです!



分かりました。
何とかしましょう。
宣戦布告は、ギリギリの「奇襲攻撃30分前」と決まります。
「30分前」となると攻撃を実施する南雲機動部隊にとっても大変な重荷です。



奇襲攻撃30分前の宣戦布告は、無茶です。
「米海軍に気づかれずに、こっそりとハワイ真珠湾に近づく」だけでも大変な苦労です。
さらに「時間をきちんと管理して、宣戦布告前に攻撃してはならない」のです。
きちんと時間を管理して、真珠湾近くに早く到達してしまったら「宣戦布告まで周辺で待つ」必要があります。


海流などによって進路・速度を制御する海上航行を行い、戦場に向かう。
それは、極めて大きな困難です。



せめて奇襲攻撃1時間前に、宣戦布告として下さい。
南雲司令長官を補佐する、草鹿龍之介第一航空艦隊参謀長。





山本長官。
それは、無茶というものですよ。
しかし、山本はまたここで押し切ります。



出来ないなら、今すぐ辞表を出せ!



・・・



分かりました。
何とか、やってみせます。
真珠湾奇襲攻撃はワシントン時間で13:30でしたが、その30分前の13:00に米国に宣戦布告することに決定しました。
これには作戦実施部隊の幹部全員が
流石に、それは難しいのでは・・・
と考えますが、山本司令長官が、強行に進める以上仕方ありません。
山本長官に再考を求めたところで、



出来ないなら、今すぐ辞表を出せ!
となるのは、目に見えています。
剣術の達人であった草鹿参謀長。



もう、えいやっとやるしかないな。
日本側の代表であるものの、統帥権が天皇にあり、権力が対してない東條英機 内閣総理大臣兼陸軍大臣。





奇襲攻撃の30分前に、宣戦布告か・・・



そんなに直前で、大丈夫なのか?
東條首相も不安を感じます。
しかし、首相といえども陸軍軍人である東條首相。
海軍には、あまりモノを強くは言えない状況です。



まあ、海軍が「やる」というなら、やるんだろう。



とにかく、宣戦布告が遅れて、
卑怯者呼ばわりされることだけは絶対に避けろ!



承知しました。
東條首相は、東郷外務大臣に厳命します。
米国で「最後通牒を出す責任者」の野村米大使。





前線の体制を万全にしておけ!



分かりました。
と答えた野村大使でしたが、米国大使館は、それとは裏腹な雰囲気でした。
野村大使以下の館員たちは「国家の命運を左右する」という緊張感を持たずに、日々過ごしていたのでした。