前回は「緊迫する日米交渉と米国の思惑〜東條英機総理大臣誕生・昭和天皇からの下命・近衛文麿の無念・チャーチル英首相が切望した米国参戦・ルーズベルト大統領の公約と米国民の考え〜」の話でした。
揺れる真珠湾奇襲攻撃のゆくえ:「途中で引き返す」可能性を厳命した山本長官
御前会議の結果「日米交渉がまとまらない場合、米国へ先制攻撃」が決まります。
真珠湾奇襲攻撃に、並々ならぬ決意を持っていた山本長官。
やはり可能であれば、
米国との戦争は避けたい・・・
正直なところ、
日本の勝ち目は少ない・・・
真珠湾奇襲攻撃実行舞台である空母機動部隊引き入る南雲忠一 第一航空艦隊司令長官。
択捉島付近に艦船を集結させ、一気に全艦隊を率いて真珠湾へ攻撃に向かう予定となります。
艦隊が攻撃準備を整えて、真珠湾へ攻撃に向かう途中も日米交渉は続けられます。
米国との戦争を避けたい山本長官は、南雲長官に命じます。
日米交渉妥結の場合は、
途中で艦隊を引き返すように!
これに対して、南雲長官も草鹿参謀長も反駁します。
「行け」と言ったと思ったら、
「止まれ」なんて・・・
そんなこと
出来るわけないでしょう!
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
上下関係の厳しい軍にあり、全員が同じ学校・海軍兵学校を仲であった当時。
ある意味では、「本音が話しやすい仲」でありました。
元々気性の荒い南雲司令長官。
出掛けた小便を途中で止めろ、
というもんだ!
一体、
何考えているんだ!
こういう決して上品ではない言い方は、山本長官は好みません。
だから、南雲ではなくて、
別の人間を長官にしたかったのだ・・・
内心悔やみますが、もうどうにもなりません。
反論する南雲長官・草鹿参謀長に対し、山本長官は再度厳命します。
日米交渉妥結の際は、
必ず引っ返してこい!
出来ないと言うなら、
今すぐに辞表を出せ!
これに対して、南雲長官も草鹿参謀長も反論しようもありません。
分かりました。
交渉妥結の際は、必ず引っ返します・・・
はい、
お任せ下さい!
ハル・ノート:日本が絶対受け入れられない条件
1941年11月26日に、いわゆる「ハル・ノート」が米国側から提示されました。
Japanは
Chinaから全面撤退して・・・
Asiaに広がった
占領地域を手放しなさい!
内容は「中国からの日本の撤兵」等、日本側が到底受け入れられない内容ばかりでありました。
なぜ、米国は
こんな苛烈な条件をつけてくるんだ?
悩む日本の外務省。
ただし、重要なことは「交渉期限を切っていない」ことでした。
すなわち、対応は「日本次第」でした。
さて、Japanは、
どう出てくるか・・・
東郷茂徳外務大臣と日米交渉担当者の野村駐米大使。
昭和天皇からの命令もあり、
出来るだけ
日米交渉妥結させたい・・・
懸命に交渉を続けます。
もはや「待ったなし」の緊迫状況のフィリピン:奮うマッカーサー
ルーズベルト大統領は、日本の出方をじっと見ていました。
Japanが、
全面的に降参すれば良い。
まあ、
しないだろうが。
そして、陸軍を統括するスティムソン陸軍長官。
フィリピンのマッカーサー司令官に命じます。
いよいよ、
Japanからの攻撃に備えるように!
米海軍もまた「日本海軍の真珠湾への攻撃」に備えます。
日本を侮っていたマッカーサー元帥。
Japanの陸軍がこちらを攻めてきたら、
この俺がいるんだから、撃退してやる。
Japanの海軍ごときが、
真珠湾のUSの海軍基地を攻撃したところで、
我がUSの強力な海軍に、
Japanが反撃されるのがオチだろう。
Japanの軍など、
大したことはないのだ。
もはや、事態は待ったなしとなっていました。
次回は上記リンクです。