前回は「真珠湾奇襲攻撃 11〜信長・謙信・義経となることを断念する山本五十六〜」でした。
日本海軍がハワイ真珠湾奇襲攻撃の作戦内容と人事でゴタゴタしている間も、日米交渉は続けられていました。

当時、ヨーロッパではヒトラー率いるドイツが猛烈な勢いで進撃を続け、ほぼヨーロッパ全土がドイツ及び同盟国(枢軸国)となった状況でした。

強国フランスですらドイツに降伏し、フランス北部はドイツの支配下に置かれます。

日米交渉継続中に、米国はすでに日本の暗号解読を進めていました。
そして、1941年4月頃には「日本は先制攻撃してくるだろう」と考えていました。
当時、選挙で非常な強さで当選し、異例の3選を果たしていたルーズベルト大統領。

もはや全米が青色に染まった、民主党ルーズベルト大統領の圧勝でした。

圧勝したルーズベルト大統領は、選挙中に「アメリカの若者を他国の戦場には行かせない」と公約していました。
米国から宣戦布告することはできない状況でした。
この頃、ヒトラー率いるドイツ軍に、連日ロンドンを空襲されていた大英帝国。


ヒトラー率いるドイツを、
どうにかしてくれ!
チャーチル英首相からは、ルーズベルトに米国参戦の要請がひっきりなしにきます。
ドイツはロンドン空襲を続け、米国としては英国を見捨てるわけには行かず、武器などの後方支援は積極的にしていました。



武器など後方支援は、
積極的にやろう!
多方面で戦争を続けるドイツですが、その勢いは全く止まるところを知りません。



このままでは、英国までもが
ドイツに占領されてしまう。



それは米国としては、絶対に避けなければならない事態だ!
ドイツが英国まで占領下に置いてしまっては、いかに米国といえどもドイツを倒すのが困難になります。


長らく太平洋へ侵攻し、西へ西へと進んできた米国。
ルーズベルト大統領にとって日本やアジアのことは「二の次」であって、ヨーロッパ戦線の方が遥かに重要かつ緊急でした。
アジア地域の米陸軍司令官は、日本人にとって馴染み深い、あの人だったのです。