前回は「智清将・竹中半兵衛の真髄〜半兵衛のその後の歴史への強い影響・冴える軍略と采配・秀吉の中国攻め・半兵衛の総決算・三木城の采配・最後は陣中で〜」の話でした。
1941年12月8日:真珠湾奇襲攻撃の肖像
80年前の1941年12月8日。
日本(大日本帝国)はハワイ真珠湾へ奇襲攻撃を敢行しました。
日米開戦・太平洋戦争の勃発です。
それまでは、主に中国大陸で戦争を続けていた日本。
米国・英国と戦争が始まり、一気に戦線が拡大しました。
今回は、真珠湾奇襲攻撃の話です。
1940年に締結された日独伊三国軍事同盟により、米国との緊張が一気に高まりました。
明治維新の際、急速に近代化した日本陸軍の模範はドイツ・日本海軍の模範は英国でした。
日本陸軍:ドイツ
日本海軍:英国
陸軍は伝統的に親ドイツであり、ドイツは猛烈な勢いで、1940年当時ヨーロッパを席巻します。
そして、全ヨーロッパを支配下におくかの怒涛の勢いのヒトラー率いるドイツ。
全Europeを、
我が手に!
もともと「親ドイツ」の日本陸軍は、ドイツとの同盟を強く推進します。
早くドイツと
軍事同盟を締結すべきだ!
対して海軍は伝統的に英国を模範としており、ドイツとの同盟に徹底的に反対します。
ドイツとの
軍事同盟反対!
山本五十六の信念:日独伊三国軍事同盟に猛反対
当時、海軍次官であり後に連合艦隊司令長官となる山本五十六。
山本次官は、
ドイツとの軍事同盟は
絶対、断固反対!
でした。
米国に駐在経験があり、巨大さをよく知っている山本は、常々言っていました。
米国のテキサスの油田、
デトロイトの自動車工場を見てこい!
米国に勝てるはずがない、
と分かるから!
ところが、山本が海軍省から連合艦隊司令長官へ異動となった後、海軍は陸軍に押しきられます。
そして、海軍が同意し、日独伊三国軍事同盟締結となります。
「三国同盟締結断固反対の山本を暗殺しようとする強硬派がおり、山本を連合艦隊司令長官に」という説もあります。
つまり、「山本を、国内から海上へ避難させるために、連合艦隊司令長官に任命した」という説です。
猛烈な勢いのドイツは、文字通りヨーロッパを席巻していました。
大英帝国除く、ヨーロッパ大陸がドイツおよび同盟国(枢軸国)になったかのような状況となっていました。
残るは事実上、英国のみです。
英国では英首相チャーチルが徹底抗戦を叫び、断固交戦しますが押され気味となります。
ヒトラーは、
民主主義の敵だ!
わが大英帝国が、
ドイツに負けてたまるか!
だが、
ドイツは強い・・・
強すぎるのだ・・・
日本は南部仏印へ進駐し、米国との緊張関係がエスカレートします。
いよいよ「米国との戦争」が現実味を帯びてきます。
Japanの
動きはどうだ・・・
連合艦隊司令長官 山本五十六は米国に勝つ方法を考えます。
米国は資源も豊富で、
経済力・工業力も日本のはるかに上まわる。
米国に勝つのは、
至難の業だ。
米国に勝つには、緒戦で米軍に大打撃を与え、
米国民を意気消沈させるしかない。
そして、早期和平に持ち込む他に
日本が生き残る道はない・・・
攻撃の標的は日本にとって米海軍最前線基地であり、米海軍太平洋艦隊の基地であったハワイしかありません。
米国に勝つのは難しいだろうが、
いっちょやってやろう!
山本五十六 連合艦隊司令長官は、大いに意気込みます。
奇襲攻撃の実施計画推進者:大西瀧治郎と源田実
そして、航空畑の大西瀧治郎・源田実たちに真珠湾攻撃の実施計画策定を命じます。
ハワイ米太平洋艦隊を、
奇襲・撃滅する計画案を練ってくれ。
航空機を主軸とした空母打撃群で
やるのだ!
承知しました。
源田と考えます。
しかし「言うは易く、行うは難し」。
そもそも軍事力も技術力も上の米国の海軍本拠地に、日本海軍艦隊が近づくことすら困難を極めます。
さらに「気づかれないようにこっそりと近づいて奇襲」するという、とんでもない作戦。
困難を
極める作戦です・・・
流石にこれは
不可能なんじゃないか・・・
大西ら実施案を検討する海軍士官は、途方に暮れます。
次回は上記リンクです。