前回は「戦艦大和のペーパークラフト作成 10〜軍機「超巨大戦艦大和の建造」・米軍すらキャッチ不可能の秘匿性・巨大戦艦に「期待してなかった」航空派山本五十六・巨大砲塔の射撃の精度・長大すぎた最大射程距離〜」の話でした。
無敵戦艦の期待を背負った戦艦大和:「持たざる国」日本の守護神
雄大な艦橋が完成し、いよいよ世界最大の巨砲の政策に入りました。
第二次世界大戦・太平洋戦争では「情報戦で米国に敗北した」と言っても過言ではない日本。
Japanでは、
巨大戦艦を建造してそうだか・・・
おそらく、「巨大戦艦建造の気配」は米国に感じとられていたでしょう。
ところが、戦艦大和建造の機密保持に関しては、日本海軍はずば抜けた努力をしていました。
諜報機関に関しては、世界一であり続ける米国でさえ、
Japanが新たに建造している
戦艦は、どのようなものなのだ?
情報を集めていますが、
どうもよく掴めないです・・・
どの程度の
巨大な戦艦をJapanは考えているのだ?
あまりに大きな巨砲を戦艦に乗せるのは
作戦運用上、考えにくいのでは・・・
まあ、
そうだろうな・・・
当時の日本海軍は「戦艦大和建造」の機密保持に「かなり成功」していました。
戦艦大和建造当時の1937年〜1941年は、
資源では、我が国は
到底米国の比較にならない・・・
日本よりも米国の方が全ての資源で「遥かに勝った」存在でした。
さらに、GDPは10倍ほど、工業力も遥かに米国の方が上でした。
当然「戦艦や空母などを作る工業力」もまた、米国が上でした。
それでもなお「無敵戦艦」を誕生を目標として、
無敵戦艦・戦艦大和を
建造して、米海軍を圧倒するのだ!
どこの国にも、どの戦艦にも
絶対に負けない戦艦を!
「持たざる国」である日本が、
無敵戦艦を
作り出すのだ!
「無敵戦艦=日本海軍の守護神」である戦艦大和建造に向かったのは、必然でした。
ちょうど真珠湾奇襲攻撃〜ミッドウェー海戦が「戦艦から空母へ」の時代でした。
それでも、まだ時代の中心は「大艦巨砲主義」であり、世界の海軍士官のほとんど全員が、
なんと言っても海戦は
戦艦で決まる!
こう考えていました。
そして、
無敵戦艦・戦艦大和を
建造して、米海軍を圧倒するのだ!
大和一隻で
全ての敵を倒せるくらいの戦艦を!
日本海軍将兵の「全ての期待を背負って」戦艦大和は誕生しようとしていました。
その期待は「全ての日本海軍将兵の期待」を超えて、
我が海軍だけではなく、
大日本帝国全ての国民の期待を担うのだ!
「全ての日本国民の期待」となろうとしていたのでした。
世界最強巨大戦艦大和の「叫び」=無敵の砲塔
そして、その「日本海軍の守護神・巨大戦艦」の主砲を作成します。
いわば「戦艦大和の根幹」であり「戦艦大和の象徴」である「強力な三つの主砲」です。
非常に小さな軸のようなパーツを切り出しました。
このパーツを手法のパーツの中に設置して、ここの主砲を取り付けます。
主砲は、この小さな台形と長方形を組み合わせたパーツを丸めて作成します。
鉛筆よりも細い円筒のパイプを作るのは、なかなか大変です。
ピンセットを使いながら、慎重に丸めて主砲が一つ完成しました。
小学校低学年の子どもと一緒に作成していましたが、このあたりは僕が作成しました。
三本の主砲が完成して、主砲に取り付けます。
主砲の中の軸が三つあり、ここに主砲を差し込みます。
軸は「可動」なので主砲は上下に動き、砲台は左右に動くようになっています。
実に緻密な模型であり、「戦艦大和の叫び」の砲塔が完成しました。
この砲塔を3つ製作して、戦艦大和に設置してゆきます。
実際の砲塔のデザイン・形状を忠実に再現し、ペーパークラフトながら「可動」の砲塔と砲台。
製作者の「楽しみながらの苦労」が偲ばれる、大変な力作です。
日本海軍の夢を形にした「空前絶後」の最強戦艦
いよいよ3つの主砲・砲塔を戦艦大和に取り付けてゆきます。
いよいよ完成しました。
小学校低学年の子どもと一緒に切ったり、製作したので、「やや粗削り」の部分もあります。
細かな造作も多く、我ながら力作です。
冊子には「作成には15~20時間」と記載ありましたが、少しずつ作成して8日ほどかかりました。
子どもと作成したこともあり、25時間くらいかかりましたが、とても充実した時間でした。
世界最強の戦艦であり、極めて優美なデザインの巨大戦艦・大和。
当時の日本海軍のみならず日本人全員の「戦艦大和への思い」が感じられます。
真珠湾奇襲攻撃直後に完成・進水した、空前の巨大戦艦大和。
現代の米国ならば、戦艦大和以上の戦艦を作る能力は当然持っています。
ところが、時代は「空母主軸」となり、戦艦が「海軍の中心となる」時代はもう来なそうです。
すると、米国などの外国が「戦艦大和以上の戦艦を製作する」ことは「今後100%ない」でしょう。
そして、「空前」だけではなく「絶後」が加わり、「空前絶後」となった超巨大戦艦が大和・武蔵でした。
司令長官・長官・司令官・艦長として、多数の将星が乗り込んだ戦艦大和。
巨大戦艦・大和で
米海軍を叩き潰すのだ!
世界最強の攻撃力と防御力を
もつ大和は最強よ!
実際、空母以外の全ての艦船と比較して、戦艦大和・武蔵は「世界最強」でした。
ところが、時代が「戦艦から空母へ」と移り変わる「ちょうど移行期」に誕生した戦艦大和と武蔵。
この二つの巨大戦艦は「活躍する場」が与えられぬまま、時が経過しました。
戦艦武蔵はレイテ沖海戦で、米空軍機の集中砲火を一身に受けて撃沈されました。
そして、敗戦直前の1945年4月7日。
「沖縄救援」に向かった戦艦大和は、事実上「海上特攻」となって米海軍に挑みました。
戦艦大和は
最強だが、航空機の護衛なしか・・・
撃って撃って、
撃ちまくるしかない!
空母を持たず、制空権がない中、戦艦大和はひたすら沖縄目掛けて突進してゆきました。
「大艦巨砲主義の権化」にして、戦艦大和の超推進者であった宇垣纏第五航空艦隊司令長官。
真珠湾攻撃時に参謀長だった宇垣は、この時、最前線で特攻隊を指揮する最高指揮官でした。
航空隊の護衛なしで、
我が戦艦大和が米軍と戦う・・・
そんな無様な戦いを
「我らの夢」の大和にさせるのか・・・
・・・・・
ここで、「長官権限」で宇垣は一大決心をしました。
私の独断で、
護衛戦闘機を出す!
そして、もはや「手持ちが極めて少なく限られた」数の戦闘機から数機を護衛に向かわせました。
お前たちが
戦艦大和の「空の護衛」をしてくれ!
はっ!
宇垣長官、お任せを!
一方で、米海軍の空母は10隻を優に超えていました。
そして、戦艦大和に向かってきた航空機は数百機。
これでは「そもそも戦いにならない」レベルの苦戦をせざるを得なかった戦艦大和。
奮闘したものの、戦艦大和は九州と沖縄の間の坊ノ岬で撃沈されました。
日本海軍・日本人の夢を形にした「空前絶後」の最強戦艦大和のペーパークラフト。
その「夢の跡」が感じられる製作でした。
次回は上記リンクです。