前回は「戦艦大和の模型作成 9〜主砲の作成〜」の話でした。

ついに戦艦大和の主砲を作成します。
1/700のスケールのため、小さなパーツが多いペーパークラフトですが、大きな主砲は目立ちます。

戦艦大和に主砲を支える円筒形の部分を差し込みました。
艦橋と高角砲だけでも「戦艦大和らしく」なっていましたが、これで「巨大戦艦大和」が見えてきました。

超極秘で建造された戦艦大和。
後の真珠湾奇襲攻撃では、米国に手の内読まれていましたが、作戦自体の機密性は極めて高かったのです。

戦艦大和建造が正式に決定した時は、軍政側の海軍次官であった山本五十六。
日本海軍で先駆けて「航空戦・空母」の重要性を見出した人物でした。
後に、戦艦をつくる海軍担当者に対して、

悪いけど、
君たち、このままだと職を失うよ。
と軽口を叩いたという逸話もあります。
1937年に「戦艦大和建造」を発令した海軍省。
真珠湾奇襲攻撃の4年前のこの時、海軍内では「大艦巨砲主義」が中心でした。
山本五十六 海軍次官もまた、まだ



航空機の戦いが
主力になるだろう・・・



しかし、海戦では
戦艦の力は圧倒的だ。
こう考えていたはずです。





航空隊の強みは
増えていきそうだが・・・



戦艦大和に
日本海軍の運命を委ねよう。
戦艦の建造には大変な費用がかかる中、「世界一の巨大戦艦」建造を目指した日本海軍。


いよいよ、それぞれの主砲に「3本ずつ」の大砲を取り付けてゆきます。
上のパーツの切り方は少し雑ですが、小学校2年生の子どもと一緒に制作しています。


複雑な形状の紙を、貼り付けてゆくと主砲の概形が出きてきました。
三つの大きな穴が空いていて、ここに46cm砲を取り付けてゆきます。
最大射程は42kmあったと言われる巨大な主砲。
42kmといえば、ちょうどマラソンの距離になります。
そして、「京都から大阪の距離」が大体この距離となります。


この距離で「砲弾を打って、相手の艦隊に当たるのか?」というのは、当時綿密に検討されたでしょう。
「京都から砲弾を打って、大阪付近にいる戦艦・空母・重巡などに当てる」のは非常に難しそうです。
巨大戦艦である戦艦大和のサイズが263mなので、サイズを検討してみましょう。
263/42,000=0.006、つまり「最大飛距離に対して、巨大戦艦であっても0.6%のサイズ」となります。
相手が駆逐艦などだと、この半分以下のサイズになります。
さらに、海では「地球の丸さ」が反映されるので、「42km先は見えにくい」のが実情です。
この「巨大な砲塔は良いが、当たるのか?」が、どのように現実的に検討されたのか。


後に総理兼陸軍大臣となり、最終的には参謀総長まで兼ねた東條英機 総理。



射撃は
精神で撃つ!
「精神力」が異常に誇張された当時の日本軍ですが、やはり技術力は重要です。
この「巨大砲塔の射撃の精度」がどのように検討され、どのように判断されていたのか。
このことが曖昧なことが「日本らしい」点ではあります。
そして、この曖昧さこそが、日本海軍および戦艦大和の運命も位置付けたのでしょう。