前回は「織田信長の実像と戦国の覇王が創り出そうとした未来〜信長が考えていた織田家の未来・第六天魔王の視線・武田討滅戦・万全期す信長・天下統一後の「国のヴィジョン」〜」の話でした。
戦国の覇王信長が見据えた未来と世界:室町幕府と足利将軍家の威光
1567年に美濃を奪取した織田家は、その後一時的に足利義昭を将軍として推戴しました。
私は将軍なのだから、
全ての武家の頂点!
足利将軍家の
威光はどの程度だろうか?
事前に綿密に調査をしていたであろう信長。
当時、「武家の頂点」であった将軍家の威光は、現代では考えられないほど強力でした。
初代将軍・足利尊氏から続く、室町幕府の足利将軍。
第三代将軍・足利義満の頃には、最盛期を迎えていました。
ところが、その後第八大将軍足利義政の頃に、幕府の屋台骨が揺らぎ始めました。
その結果、国内で最初の大規模な内戦・応仁の乱が勃発。
応仁の乱が長きにわたって続き、室町幕府・足利将軍家の権威は地に落ちていました。
第十三代将軍・足利義輝は、三好家によって京から追われ、一時は近江付近を流浪しました。
その後、京都に戻った将軍義輝でしたが、
三好・松永が
攻め込んできました!
こういうことも
あろうかと思っていたが・・・
まさか・・・
三好が・・・
まさか、将軍家の館に
家臣である武家どもが襲撃するとはのう・・・
三好三人衆・松永久通らの軍勢に襲撃された将軍義輝。
剣豪であった将軍義輝は、最後は自ら剣を取って戦いました。
こい!
下郎ども!
うぐっ!!!
最後は切腹ではなく、兵士たちに取り囲まれ、惨殺された将軍義輝。
いかに戦国時代とはいえ、「武家の棟梁を襲撃・殺害」という前代未聞の異常事態となりました。
その後、流浪していた足利義昭(義秋)を、信長が「神輿」として、京へ乗り込んだのでした。
将軍となるであろう足利義昭・・・
どの程度権威があるんだ?
半信半疑ながらも、浅井家などと同盟を構築して京へ乗り込んだ信長。
なんと・・・
足利将軍家の威光はこれほど強いのか・・・
信長が想定していたよりも、はるかに将軍家の威光はまだ強かったのでした。
そして、京都周辺を一気に平定した足利家・織田家連合軍。
信長よ。
副将軍にしよう!
いえいえ、
私などは・・・
ならば、
管領では?
私などには、
勿体無いです・・・
何か
恩賞の望みはないか?
ならば・・・・・
草津・大津・堺に代官を置かせて頂きたい・・・
なんだ。その程度の望みは、
即決!OK!
・・・・・
その後、足利・織田の関係は破綻し、織田家は元亀・天正の死闘を勝ち抜いてきました。
三職推任問題「征夷大将軍か関白か太政大臣か」:未来を考えていた信長
そして、巨大な勢力となった織田家。
さらに、最大の対抗馬であり家柄が申し分なかった武田家が討滅されました。
この時、正親町天皇率いる朝廷は、嫌々ながら「武田家の朝敵指定」をしています。
選りに
選って・・・
選りに選って、
あの武田を朝敵とは・・・
もはや、「織田が天下統一することが既定路線」に確定しました。
そして、三職推任の話と、当時信長が考えていたことの話です。
余は、どのような
役職につくのがベストだ?
信長の性格とその卓越した能力から、信長自身が、ほぼ全てを統括していた織田家。
余が全てを
統括し、命令を下すのだ!
羽柴秀吉・明智光秀らの武将を各地に転戦させる指示を直接下し、各方面の敵を倒してきました。
調略もしなければならぬし、
忙しい限り!
方面軍司令官となった、有力な武将の仕事は多岐にわたります。
領土が広いとはいえ、織田家ほど各武将があちこちに転戦させられた大名家はないでしょう。
明智・羽柴・柴田・滝川・丹羽たちは、「能力をこき使われた」とも言えます。
そして「能力をこき使われた」過程で、彼らの持つ才能が開花し、極めて優れた将になりました。
畿内中心に、あちこちの戦いへの
出撃を命じられたぞ!
戦場に次ぐ、
戦場だ!
調略に、合戦に、と
行き着く暇もないわ!
武田家なら山県昌景や内藤昌豊にしても、比較的担当地域が決まっていました。
最後の西上作戦などの少ない例外を除くと、織田家と比較するとそれほど転戦している感じはないです。
高坂昌信(春日虎綱)にいたっては、上杉家対応で「上杉担当」とも言える立場。
高坂は、ほとんど海津城周辺から動いていないのではないでしょうか。
私の任務は上杉家の押さえ。
海津城周辺を固めれば良い。
信長の卓抜した能力により、各武将たちがその持っている能力を最大限、むしろ最大限以上に活用させられた織田家。
明智光秀・羽柴秀吉・柴田勝家・滝川一益たち四天王に加え、丹羽長秀らの優れた家臣団。
彼らが極めて優れていただけではなく、信長だからこそ「マックスの能力以上を発揮」できたのでした。
信長・織田家各武将が、最大限以上の能力を猛烈に使い続けた結果、異常で急速な膨張を続けたのでした。
信長が考えていた国のヴィジョン
長年の宿敵・武田家を滅亡させた信長。
この時、50歳を目前にしていた信長。
「人間50年」と
言いつつづけてきたが・・・
余も50歳に
なるのか・・・
ずっと、ずっと戦いの連続だった・・・
少し一息つくか。
織田家武将の配置を見ると、もはや信長があれこれ指示する必要がなさそうです。
経験豊富、かつ非常に優れた武将たちが、信長の指図なしでも天下統一してくれそうです。
余が育てた、
最強の家臣団・・・
もはや、信長が放っておいても、彼らが自動的に「日本統一」を果たしてくれそうな状況でした。
それは、もはや完全に「時間の問題」でありました。
征夷
大将軍か・・・
あるいは、
関白か・・・
あるいは、
太政大臣か・・・
「まさか!!!」が多数発生した戦国時代。
それでも、「この後、織田家がどこかの家に痛撃を喰らって凋落する」可能性はありませんでした。
信長自身の能力が卓越しており、超優秀な家臣団がいます。
そして、膨大な軍事力・莫大な経済力・多数の最新鋭兵器があり、「織田と比肩できる大名」は存在しませんでした。
どの役職も、
余が考える世とは合わない・・・
余は中世を終わらせ、
次の新たな時代へ向かいたい・・・
もはや、「織田の天下」は確実だった中、信長は
征夷大将軍・関白・太政大臣を、
全て兼ねる役職はないのか?
あるいは、その役職を
朝廷に作らせるか・・・
いずれにしても、南蛮等の対外関係の構築・対応も順次しており、急ぐ必要はありません。
少し、一息ついて、
ゆっくり考えてゆくか・・・
「人生50年の50歳目前」となり、少し一息つきたい信長。
その一息は少し長くても、良かったかもしれません。
そして、信長にはそれだけの余裕があったはずでした。
謀反・叛逆さえなければ。
次回は上記リンクです。