前回は「最高権力者になった井伊直弼〜心身虚弱の中の家定の一大決断・数多くの外国からの使者と条約交渉・幕末の混迷の中に飛び込んだ直弼〜」の話でした。

名前が良い不平等条約「日米修好通商条約」

米国からハリスがやってきた、1858年は日本が急速に「世界の波に巻き込まれた」時期でした。
それまで、「鎖国」といえどもオランダ・中国・朝鮮とは交易などを続けていた日本。

江戸が中心の日本列島は、長崎・対馬・蝦夷などの「外交の交渉口」を持っていました。
ところが、西進を続け、鯨油などの確保からJapan=日本に目をつけた米国。

Hello!
Japanの皆さん!



早く我がUnited Statesと
新たな条約を結べ!
強面のハリスは、強硬に条約締結を迫ってきました。



Perryとの
日米和親条約に続いて・・・



私Harrisと
日米修好通商条約を締結しましょう!
「日米修好通商条約」と名前と耳障りは良いのですが、内容はかなりの不平等条約でした。
ところが、そもそも「不平等かどうか」以前に、外国との交渉の経験が少ない日本政府=徳川幕府。
井伊家から六人目の大老就任:「必然」であり「なんとなく」井伊


この状況において、心身脆弱ながら、将軍家定は一大決断をしました。



大老を設置して、
この国難を乗り切る!
家名 | 人数(名) |
井伊 | 5 |
酒井 | 3 |
土井 | 1 |
堀田 | 1 |
大老となる資格があるのは、徳川譜代であることが前提です。
十三代将軍家定の代までに、「大老十人中五人」で半分を占めた井伊。
さらに、井伊直弼の前は、4代続けて大老を務めた井伊。



最近の大老は、
井伊が多いな・・・
大老を彦根藩主の井伊直弼に任命した将軍家定。
それは「井伊直弼の能力・人柄に任せた」というよりも、



大老は
井伊しかいない!
という「必然」であり「なんとなく」井伊という感じで任命したのでしょう。
埋木舎でひっそりとした人生を送っていたのに、彦根藩主になって自分でも驚いていた井伊直弼。
今度は大老として、江戸幕府を任されることになりました。



井伊よ・・・
徳川幕府を任せたぞ!
井伊直弼自身が、信じられない展開だったでしょう。



私に
大老をお任せを!
最初は信じられなかった直弼。



本当に
私が大老に・・・?



夢では
ないのか・・・?



ならば、徳川宗家のために、
私が揺らいだ徳川家の屋台骨を修復してみせよう!
大奮起した井伊直弼:幕末維新の幕開け


井伊直弼は、大興奮を超えて大奮起します。



私が、幕府の威信を
取り戻してみせる!
井伊直弼の大老就任は、徳川幕府においては非常に大きな転換点でした。



激動の世界において、
徳川幕府ではダメだ!
「徳川幕府は倒すしかない」と考えていた吉田松陰や橋本左内。


徳川幕府の大きな変化を肌身で感じていたものの、



井伊直弼って、
誰だ?



ああ、彦根の
井伊か・・・
長らく表舞台にいなかった井伊直弼の存在は、その程度でした。



井伊直弼が大老になったところで、
徳川幕府は大して変わらない・・・
こう考える橋本左内たち。
時代は、幕末の大きなうねりの中に突入してゆきました。
まさに、井伊直弼の大老就任こそが、「幕末維新の幕開け」となったのでした。
そして、「まさか・・・・・」という事態に向かってゆきます。
次回は上記リンクです。