木に埋もれた人生から一気に躍り出た井伊直弼〜ペリー来航の大激震と日米和親条約締結・困惑する幕府・大揉めの将軍継嗣問題・一橋慶喜が大嫌いな将軍家定〜|井伊直弼6・出身・人物像・エピソード

前回は「学者として大成したかもしれない井伊直弼〜学者たちとの関係「日陰の人生」から一気に名門藩の藩主へ・彦根から徳川の救世主へ・交錯する様々な人物たちとの人生〜」の話でした。

井伊直弼(Wikipedia)
目次

木に埋もれた人生から一気に躍り出た井伊直弼

彦根城(新歴史紀行)

超名門の彦根藩・井伊家に生まれた井伊直弼。

ところが、十四男であり、生まれた時にはすでに兄・直亮が藩主となっていました。

十四男では・・・
出番はないだろうな・・・

「後継になれない」状況に加え、他の兄たちが次々と他家に引き取られる中、

私のことが欲しい、
という家がなかなか出てこない・・・

「井伊直弼が欲しい」という家も登場せず、非常に宙ぶらりんな人生が続きました。

優れた人物であった井伊直弼は、「学者としても大成する能力」を有していました。

茶の湯にも非常に造形が深く、極めて高い独特の感受性を持っていた直弼。

第十二代将軍 徳川家慶(Wikipedia)

時は流れて、第十二代将軍 徳川家慶の時代となりました。

井伊家では、直弼の兄・直亮が死去してしまい、他の兄たちが他家に行っていたため、

井伊家の後継は、
直弼しかいない!

直弼よ・・・
井伊家を継げ!

鬱積した「木に埋もれた」埋木舎の人生にピリオドが打たれました。

俺が譜代大名筆頭の
超名門の井伊家の当主だ!

私が彦根藩を
再興するのだ!

そして、彦根藩が徳川幕府の
中核なのだ!

井伊直弼は木に埋もれた人生から、一気に躍り出たのでした。

ペリー来航の大激震と日米和親条約締結:困惑する幕府

Matthew Calbraith Perry(Wikipedia)

1851年に35歳にして晴れて彦根藩主となった井伊直弼。

その2年後にはペリーが浦賀にやってきました。

Hello!
Japanのみなさん!

そして同じ年の年末11月には、将軍が変わりました。

新歴史紀行
第十三代将軍 徳川家定(Wikipedia)

私が新たな
将軍だ!

徳川家定が第十三代将軍となった年は、いわゆる「ペリー問題」で幕閣は大揉めでした。

時間稼ぎで、
ペリーには「ちょっと待ってくれ」と言ったが・・・

そういえば、ペリーは「また来る」って
言ってたな!

「また来る」と言ったって、メリケン(米国)は
かなり遠いから・・・

「また来る」としても、せいぜい3年後
くらいじゃないのか?

来年来るってことは、
ないでしょう!

このような甘い観測をしていた徳川幕府。

ところが、

Hello!
Japanのみなさん!

約束通り、
また来ましたよ!

うわっ!
本当に来たよ!

ペリーは「約束通り」に翌1854年に、再度日本にやってきました。

Japanの皆さん!
「ちょっと待って」と言ってましたが・・・

一年経ったから、
検討は十分でしょう!

いや・・・
まだ検討が進んでいないんです・・・

と答える徳川幕府。

なんとか時間稼ぎをして、
うやむやに・・・

と考えるも、ペリーは、

約束を守らないなら、
Edoを砲撃しますよ!

いえ・・・
では、条約を結びましょう・・・

こうして、1854年に日米和親条約を米国と締結させられた徳川幕府。

他にも、外交問題が山積していました。

ひっきりなしに米国・英国・ロシアなどから使節がきて、幕府に開国を迫ってきました。

大揉めの将軍継嗣問題:一橋慶喜が大嫌いな将軍家定

一橋慶喜(国立国会図書館)

さらに、13代将軍徳川家定の継嗣問題では、大揉めでした。

紀州藩主の徳川慶富を推す南紀派と、英邁と誉が高かった一橋慶喜を推す一橋派で激しく争っていました。

私は御三家の水戸徳川出身の
慶喜です!

今は、御三卿の一橋家に行きましたが、
血筋は抜群ですよ!

さらに、私は
結構優秀です!

この困難な時局には
慶喜様こそ将軍に!

という声が猛烈に高まっていました。

ところが、第13代将軍家定は一橋慶喜が大嫌いです。

慶喜の、
あの偉そうな感じが嫌い!

なんとしても、従兄弟の慶富に
将軍職を継がせたい・・・

だれか強力な譜代大名で、
一橋派を黙らせることができないか・・・

幕府内が揉めている中、諸外国との外交問題が山積みとなりました。

優秀な官僚が多い徳川幕府。

とはいえ、リーダーが不在でした。

強いリーダシップが
欲しい・・・・・

将軍家定は悩みます。

誰か良い
補佐役はいないか・・・・・

悩みに悩む将軍家定は、「それなりの家柄で有能な人物」を探し回りました。

埋もれ木舎から一気に彦根藩主となった井伊直弼が、さらに飛躍する時期が刻々近づいていました。

新歴史紀行

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