学者として大成したかもしれない井伊直弼〜学者たちとの関係「日陰の人生」から一気に名門藩の藩主へ・彦根から徳川の救世主へ・交錯する様々な人物たちとの人生〜|井伊直弼5・出身・人物像

前回は「井伊直弼の開かれる運命の扉〜大名にとっての後継者と男児・代替わりと徳川幕府・国学への傾倒・長野主膳との出会い・少しずつ噛み合う「運命の歯車」〜」の話でした。

井伊 直弼(Wikipedia)
目次

学者として大成したかもしれない井伊直弼:学者たちとの関係

国学者 長野主膳(Wikipedia)

十四男では・・・
出番はないだろうな・・・

私の将来は、
一体どうなるのだろう・・・

直弼様・・・
国学は深うございます・・・

後に、安政の大獄で悪名高き存在となる長野主膳。

「井伊直弼に近づいた」説もありますが、最初は比較的「純粋な学問の師弟」だったでしょう。

将来は、国学者を極め、
学者として名を馳せるのも一つか・・・

優れた人物であった井伊直弼は、「学者としても大成する能力」を有していました。

そして、茶の湯にも非常に造形が深く、極めて高い独特の感受性を持っていた直弼。

茶の湯の世界で
生きてやろう!

と決断して、大いに筆を振るいました。

茶の湯の世界において、
我が一派を創立する!

なんと、「新たな一派を創設する」ことを本気で考えていた井伊直弼。

そして、独自の「茶の湯指南書」を著し、本気で入門者を募っていました。

極めて優れた頭脳に高い感受性を併せ持っていた「稀有な人物」と言える井伊直弼。

もし、井伊直弼がこのまま「学者、茶の湯の師匠となって大成」していたら。

越前藩士 橋本左内(Wikipedia)

私は越前藩士
橋本左内・・・

若き頃から優秀で、
敵塾で一生懸命医学を学びました・・・

専門や流派が異なるとしても「同じ学者」として、橋本左内たちと「学者仲間」になったかもしれません。

ひょっとしたら、

ああ、橋本殿・・・
この学説の面白うござるぞ・・・

井伊殿、
確かにこの学説は、非常に興味深いですな・・・

などという「優れた学者同士の会話」が生まれる可能性もありました。

学問を深く理解して、
相応の学者となる自信はある・・・

学問も良いが、
それを何かの形で実践できるのが良いが・・・

「日陰の人生」から一気に名門藩の藩主へ

彦根城(新歴史紀行)

ところが、直弼が思いもしない方向に一気に人生が開けます。

直弼よ・・・
井伊家を継げ!

埋木舎での生活に、ピリオドを打った直弼。

ははっ〜!

将軍から世継ぎと認められます。

そして、1851年に35歳にして晴れて彦根藩主となります。

第十二代将軍 徳川家慶(Wikipedia)

時の将軍は第十二代将軍 徳川家慶でした。

「長く暗い人生」を送ってきた井伊直弼。

俺が譜代大名筆頭の
超名門の井伊家の当主だ!

一気に張り切ります。

今の時代の35歳ならば、ちょうど良いくらいです。

当時の35歳は、今の感覚だと45歳くらいでしょう。

「現代の45歳」まで「はみ出しモノ」だった直弼。

突然、「泣く子も黙る」超名門・井伊家の当主・彦根藩の藩主となります。

彦根から徳川の救世主へ:交錯する様々な人物たちとの人生

左上から時計回りに、木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

西郷隆盛は、まだ島津斉彬の近習として活躍し出した頃でした。

最近は、
諸藩の動きが大きい・・・・・

おいどんは、斉彬様に命ぜられ、
幕府の情報を集めている・・・

最近は井伊家の話は、
あまり聞かないし、興味もない。

藩政改革に鋭意取り組み、彦根藩再興へと邁進します。

私が彦根藩を
再興するのだ!

長らく学問に励んだことが、
役立つのだ!

この頃、「徳川家康以来の英邁」謳われた一橋慶喜もまだ14歳。

将軍後継者候補 一橋慶喜(国立国会図書館)

井伊直弼も一橋慶喜も、これから時代の急速なうねりに巻き込まれてゆきます。

彦根藩主として大いに意気込む直弼。

吉田 松陰(国立国会図書館)

後に関わりを持つことになる吉田松陰は、まだ21歳の若さでした。

諸国歴訪しながら、色々と考えている状況でした。

私が学問を身につけ、
実践することで、我が国を救う!

そのためには、
まず我が国を知ることが最重要だ!

学問をしっかり納め、優れた頭脳を持つ井伊直弼は、しっかりと彦根藩の運営を進めます。

徳川の世となって、
250年ほど・・・

確かに、徳川の屋台骨は
ぐらついているかもしれん・・・

徳川家の御三家や親藩大名が
だらしないのが問題だ!

俺が、この彦根藩をまとめ上げ、
徳川家筆頭として、徳川に尽くそう!

徳川四天王筆頭格であった藩祖・井伊直政の如く「徳川の救世主」となることを心に決めた直弼。

ところが、時代が直弼を彦根藩に留めませんでした。

「埋木舎」にいた頃の直弼が、「夢にも思わなかった」ような事態が次々と起こってゆきます。

新歴史紀行

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