前回は「超名門井伊家の十四男・井伊直弼〜埋木舎で「埋もれ続けた」人生・長野主膳との出会い・吉田松陰・橋本左内ら志士たち・「同じ学者としての同志」の可能性」の話でした。
大名にとっての後継者と男児:代替わりと徳川幕府
超名門井伊家に生まれながも、「十四男」だった井伊直弼。
十四男では・・・
出番はないだろうな・・・
歳の離れた兄の井伊直亮が
藩主・・・
私の将来は、
一体どうなるのだろう・・・
現代とは大きく異なり、子どもが多かった江戸時代。
しかも、藩主は「側室など含め、子どもをたくさんつくる」傾向がありました。
それは、藩主が亡くなって「代替わりする」時に、徳川幕府に後継者を届け出る必要があり、
ほう・・・
A藩の藩主Xが亡くなったのか・・・
それで、
後継の次期藩主は?
この時、
次期藩主は、前藩主の〜男の
Yです!
分かった・・・
良かろう・・・
と万事無事に代替わりとなります。
ところが、
前藩主には、男の子どもが
いなくて、養子もまだです・・・
と徳川幕府に申し出ようものなら、
じゃ、改易で
断絶だな!
となってしまいます。
「後継者は養子でもOK」ですが、やはり「血のつながりのある子ども」が望ましいのが現実です。
そこで、各藩の藩主たちは、
とにかく、男の子どもは
多ければ多いほど良い!
と考えていたのです。
それにしても、十四男ということは、
基本は十四番目だ・・・
国学への傾倒:長野主膳との出会い
特に将来もなく、長野主膳を師と仰ぎ、学問に励むしかなかった井伊直弼。
私の将来は、
一体どうなるのだろう・・・
直弼様・・・
国学は深うございます・・・
国学は
面白いのう・・・
一生懸命、国学を学んで、
将来は、学者も
良いが・・・
どこかの
大名家で、私の腕を振いたいのう・・・
穏やかな日々を過ごしていた直弼。
井伊直弼の開かれる運命の扉:少しずつ噛み合う「運命の歯車」
直弼の周辺で、事態が急展開してゆきます。
突然、運命の扉が開かれます。
井伊家の当主・井伊直亮が突然病死してしまいます。
お兄ちゃんが
死んでしまった・・・
直弼の上の兄たちは他家に行ってしまっていたので、「継ぐ人間がいない」状況となります。
たまたま「他の家に養子が決まらなかった」直弼以外に「選択肢がない」状況となった井伊家。
ここは、直弼様に井伊家を
継いでいただくしかない・・・
「直弼しかいないから」という消去法で、突然井伊家の当主となります。
まさに「残り物には福がある」でした。
なんと・・・・・
世に必要とされていないか、
と思ったら・・・・・
私が
彦根藩主だと!
これには、最も驚いたのが井伊直弼自身だったでしょう。
時はまさに、幕末維新の風雲が急を告げる頃。
西郷隆盛は24歳、桂小五郎は18歳、高杉晋作は12歳でした。
この時、幕府の柱たる井伊家は知っていても井伊直弼のことは知る由もない、吉田松陰や橋本左内、梅田雲浜らの志士たち。
井伊直弼
って誰?
井伊直弼・吉田松陰・橋本左内・梅田雲浜たちの運命が、少しずつ変化してきました。
そして、もともと無関係であり「知らないもの同士」だったはずの人たちだった井伊・吉田・橋本たち。
私は適塾で一生懸命
医学を学んだ!
井伊直弼が大名・藩主となるとしても、「井伊家ではなく他の家」であったなら。
その時、橋本左内・吉田松陰たちの運命は、だいぶ変わったでしょう。
もともと「関係性がほとんどなかった」井伊直弼・吉田松陰・橋本左内・梅田雲浜の四名。
その彼らの運命の歯車が、少しずつ噛み合ってきました。
次回は上記リンクです。