前回は「井伊直弼 2〜井伊家の肖像〜」の話でした。

超名門井伊家に生まれた井伊直弼。
将来は嘱望されたかと言うと、そうではありませんでした。
1815年彦根全藩主井伊直中の十四男として生まれました。
直弼が生まれた時、だいぶ歳の離れた兄の直亮が既に藩主となっていました。
十四男の直弼は井伊家を継ぐ立場ではなく、庶子として武芸・学問に励んで、他家の養子話がくるのを待つ状況でした。

一生懸命、勉学に励み、良い家から声をかけてもらおう!



頑張るぞ!
直弼は自分の住処を「埋木舎」と名づけ、長い時間を過ごします。
住処の名前からして、世捨て人を連想させます。
武芸・学問に励んでいた直弼は他の子供が次々と他家の養子に決まる中、全く決まりません。



なぜ、私だけ決まらない・・・・・
直弼は結構気分が滅入っていたでしょう。



私は不必要な人間なのか・・・・・
この頃に国学者 長野主膳と出会い、国学に傾倒してゆきます。


「学問に励むのみで、」と



名門・井伊家に、生まれた私だが・・・・・



特に世の中に必要とされない人生を、
歩むのか・・・・・
若くして達観したかの直弼。
このまま学問に励む人生も、また良かったかもしれません。



学問し続けるか・・・・・
ならば、高杉晋作ら志士たちとは特段接点もなく、平穏な人生となったことでしょう。
さすれば、吉田松陰や橋本左内らの名前を知るのは、学問の上でのことだったでしょう。
平穏に過ごして、学問を続ける人生だったに違いない。


そして吉田松陰も橋本左内は、その優れた頭脳を活かす機会がもっとあったでしょう。


もちろん、井伊直弼も。