前回は「西郷隆盛 2〜近世を葬った男の実像〜」の話でした。

今回は、西南戦争における政府軍側の陸軍軍人「谷干城と児玉源太郎」を取り上げます。
明治政府内で、いわば内輪揉めをして、西郷隆盛・板垣退助らが下野します。
そして、ついに「明治維新のスーパーヒーロー」西郷隆盛が、挙兵します。

西南戦争においては、当時日本に6箇所しかなかった「日本陸軍の軍事拠点」とも言える鎮台。
その一つであった熊本鎮台=熊本城で、薩軍を阻みます。

最強の我が薩摩軍なら、熊本城を抜くことくらい、容易いこと。
当初、西郷隆盛は、熊本鎮台を甘く考えていたでしょう。
しかも鎮台兵の多くは、士族ではなく徴兵された兵です。
事実上、薩軍を指揮していた桐野利秋前陸軍少将。





熊本城など、すぐに落城させてみせるわ!



士族でなかった連中など、我が薩摩隼人の敵ではないわ!
薩摩軍の多くの軍人も同様に、かなり強気だったでしょう。
しかし、意外なことに「抜ける(陥落させる)はず」の熊本鎮台は非常に頑強で、日本最強の薩摩軍が勝てません。



なぜだ・・・



こんなはずでは、なかった・・・
熊本鎮台で司令長官として指揮を執っていたのは、土佐藩出身の谷干城でした。


同じ土佐の乾退助(板垣退助)とともに、主に土佐藩士を率いて討幕に大きく貢献した非常に優秀な陸軍軍人です。


谷は、板垣同様に非常に「熱い男」で、新政府軍の方針に反感を持っていました。



新政府のやり方に、面白くないことは、たくさんある。



しかし、それと鎮台司令長官としての立場は別。



薩軍を叩き潰せ!
西南戦争では反政府軍の西郷・薩軍に徹底的に抗戦します。
超強力な薩軍から熊本鎮台を防衛したのは谷の軍事能力の高さを示します。
また、谷を補佐したのが准参謀だった児玉源太郎です。



私がいる限り、熊本鎮台は抜かせん!
若い頃から非常に優秀で、将来を嘱望されていた児玉源太郎。
児玉は、長州藩の支藩:徳山藩出身です。
長州藩ではないので、身分的には軽かったものの、その明晰さから新政府側から、非常に重視されていた児玉。
薩軍に熊本鎮台が攻撃され、児玉が陸軍少佐として籠城した際、「児玉に何かあっては、大変困る」と心配した政府幹部
児玉少佐は無事か!
と、現地へわざわざ問い合わせた逸話もあります。
児玉少佐に何かあっては、
日本国家の損失!


薩軍相手に死闘を続け、奮戦した児玉陸軍少佐。
その時の経験を活かして、台湾総督・陸軍大臣などを務め、日本政府の中心人物の一人となります。
さらに、日露戦争では満州軍総参謀長として、日本陸軍よりも強大なロシア陸軍撃退を主導します。
西南戦争は「維新の立役者の一人」である西郷が賊軍となってしまう、非常に大きな内乱でした。
そして、この時の経験が多くの軍人とって、後の日清・日露戦争で活かされたのでした。

