上杉謙信 6〜関東管領上杉政虎 4〜|戦国武将

前回は「上杉謙信 5〜関東管領上杉政虎 3〜」の話でした。

上杉 謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

1560年に守護代の長尾から、権威が遥かに高い「関東管領・上杉」となった政虎(謙信)。

同年から1561年にかけて、疾風のごとく猛烈な勢いで関東へ侵入しました。

関東勢力図 1561年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

戦国最強の「軍神」謙信は、進歩的・革新的な大名とは言えませんでした。

将来的構想と軍略を重視していたなら、戦国の世は大分様変わりしていたでしょう。

上杉謙信:関東侵攻(歴史群像シリーズ 戦国合戦大全 学研)

上杉家を継ぎ、関東管領になった時点で、政虎は拠点を関東に移すことを真剣に考えるべきでした。

上杉の姓と関東管領を譲った上杉憲政。

恐らく、上杉憲政は、謙信に上野国に拠点を移すように要望したでしょう。

私の故郷・上野に拠点を
移して欲しいのだが・・・

私は、
越後守護代の家柄でして・・・

だから、あなたは「関東管領上杉家」に
なったんだから!

いえ、その・・・

上野国には、かつて上杉憲政に属していた屈強な長野業正(1561年死去)率いる長野家もありました。

のちに、西上野に侵攻した武田信玄を大いに悩ました長野業正。

武田 晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

業正が生きている限り、
上野には手を出せない・・・

長野家などを束ねれば、関東に強固な地盤を築けました。

越後に一度帰ります。

えっ!
ちょっと、関東はどうするの?

また、関東に来ます。

しかし、政虎は越後に戻り、この後度々関東へ侵攻して莫大なエネルギーと時間を費やすことになります。

千載一遇のチャンスを放って、自国へ戻ってしまったのです。

そして「関東制圧」のチャンスは、政虎に二度とやってこなかったのです。

上杉憲政は

何のために上杉家を継がせ、
関東管領職を譲ったのか?

と悩んだことでしょう。

ここが、政虎、のちの謙信の大きな戦略的ミスとなりました。

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