長尾景虎から関東管領上杉政虎へ〜関東の帝王・北条家に突如訪れた大嵐・越後守護代・関東国衆の北条からの離反・「中世的武力x中世的権威」の猛烈なパワー〜|上杉謙信4・人物像・軍事能力

前回は「「軍事力x若さx権威」の猛烈なパワーで関東へ殴り込んだ長尾景虎〜木っ端微塵となった北条帝国・関東管領上杉政虎誕生〜」の話でした。

戦国大名 上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

関東の帝王・北条家に突如訪れた大嵐

関東・甲信勢力図 1555年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋

1560年に長尾から上杉となった長尾景虎。

今日から、私は
長尾ではなくて、上杉!

そして、同年から1561年にかけて疾風のごとく猛烈な勢いで関東へ侵入した景虎(謙信)。

今までは「越後守護代」長尾だったが、
今日からは「関東管領」上杉だ!

つい先頃までに、北関東まで攻め込んで、「関東の覇王」となっていた北条氏康。

戦国大名 北条氏康(Wikipedia)

関東は我が北条帝国の
ものなのだ!

「関東の帝王」を気取っていた北条氏康でしたが、突如現れた新星・長尾景虎に対して、

長尾だと?

・・・・・

長尾は、
越後の守護代だろう!

お前は、
関東には関係ないだろう!

というスタンスだった北条氏康でしたが、

上杉憲政が長尾を頼り、
長尾が関東に攻め込んでくる?

突如、遠い越後から長尾景虎率いる長尾軍が乗り込んでくる状況に対して、

長尾景虎は、
なにものだ?

名前生年(一部諸説あり)
毛利元就1497年
北条氏康1515年
武田信玄1521年
上杉謙信1530年
織田信長1534年
戦国大名の生年

老練な北条氏康に対して「15歳も歳下」の景虎に対して、氏康は、

大したことは
ないだろう・・・

と考えたいたところ、大変な大嵐が関東に吹き荒れました。

越後守護代・長尾景虎から関東管領・上杉政虎へ:関東国衆の北条からの離反

関東勢力図 1561年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

なんなんだ
一体・・・

関東北部から攻め込まれて、本拠の小田原城まで攻められる状態となりました。

上杉憲政を関東から
叩き出したと思ったら・・・

「長尾が上杉になった」
だと?

北条家は「滅亡寸前まで追い込まれた」と表現しても良い状況でした。

関東の国衆のほとんどが、
上杉についてしまった・・・

感覚的には「関東の半分程度は上杉謙信についた(従属した)」といっても良いでしょう。

関東は
我が上杉のものだ!

つまり、
俺のものだ!

違う!
関東は北条家のものだ!

猛烈な勢いで「上杉王国」を築いた謙信。

関東だけでも
100万石を優に超える領土だ!

小田原城を囲むも、なかなか落ちない状況に対して、

せっかく
ここ小田原まで来たんだから、何かしよう・・・

そうだ、関東管領への
正式な就任式を行う!

鶴岡八幡宮で盛大な「関東管領就任式」を敢行した景虎。

今日から、私は
上杉政虎!

「中世的武力x中世的権威」の猛烈なパワー

柿崎 景家(Wikipedia)

上杉政虎様に
続け!

北条家の支配となりかけていた関東は、一気に上杉の色に染まります。

小田原城に逼塞するしかなかった北条氏康。

元々、長尾家とは敵対関係になかっただけに、非常に悔しいです。

こんな・・・
こんな馬鹿な・・・

これで
北条も終わりか・・・

後年、織田信長が足利義昭を担り上洛した際、一時的に近畿周辺を席巻しましたが、その状況と似ているとも言えます。

いや、とりあえず「上杉という嵐」が
過ぎ去るのを待とう。


「武力と権威を足し合わせる」と言うよりも、「中世的武力と中世的権威の掛け合わせ」とも言えるこの猛烈なパワー。

時は1561年で、織田信長が今川義元を桶狭間(田楽狭間)に打ち取った翌年です。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ひょっとしたら、信長は景虎のこの関東遠征から、大事なことを学んでいたかも知れません。

「中世的武力x中世的権威の」の猛烈なパワーを。

権威をうまく活用すると、
猛烈なパワーとなる。

大義名分は
極めて大事だ!

そして、新たな時代の
武力を私が生み出すのだ!

のちに、足利義昭を推戴して京都に殴り込みをかけた、織田信長。

上杉家を継いだ景虎と「足利家を推戴しただけ」の信長。

この二人のスタンスには、根本的な違いがあります。

守護代の家に生まれ、中世的権威を尊重していた上杉政虎。

関東管領就任は、
心のそこから嬉しきこと・・・

対して、「権威をある程度尊重」はするものの、上杉政虎や武田信玄とは異なり、

天皇・朝廷も
権威も大事だが・・・

最も大事なことは、
それら権威を「どのように活かすか」だ!

この違いこそが、「信長流」であり、「織田信長ならでは」なのでしょう。

新歴史紀行

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