上杉謙信 3〜関東管領上杉政虎 1〜|戦国武将

前回は「上杉謙信 2〜越後の龍の猛烈なパワー〜」の話でした。

上杉 謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

1560年に長尾から上杉となって、同年から1561年にかけて疾風のごとく猛烈な勢いで関東へ侵入した長尾景虎(謙信)。

関東勢力図 1561年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

関東北部から攻め込み、「関東管領」の威光により、関東の国衆が続々と景虎に従います。

私は関東管領だ!

総勢10万以上となった上杉軍は、破竹の勢いで、北条家本拠の小田原城まで攻めこみます。

北条 氏康(Wikipedia)

「滅亡寸前まで追い込まれた」と表現しても良い状況の北条家。

進め!進めぇ〜!

我こそは、関東管領、長尾景虎だぞ!

なんなんだ?
この勢いは?

上杉家を舐めすぎたか・・・・・

感覚的には「関東の半分程度は上杉謙信についた(従属した)」といっても良いでしょう。

追い込んだ山内上杉氏が、まさか越後長尾を頼るとは、思いもしなかった氏康。

山内上杉氏を追放して、関東の王になった
と思ったが・・・

こんな、しっぺ返しを喰らうとは。

小田原城での籠城を余儀なくされた北条氏康。

歯軋りして悔しがりますが、猛烈な勢いの長尾軍には敵しようがありません。

小田原城は、天下一の堅城!

北条家に対して、これ見よがしに鶴ヶ丘八幡宮で、上杉憲政から正式に関東管領職を引き継ぎの儀式をします。

そして、長尾景虎から上杉政虎に改名します。

柿崎景家・宇佐美定満ら優れた将軍をキラ星の若く大勢抱えた上杉家は、一つの絶頂期を迎えます。

宇佐美 定満(Wikipedia)

上杉政虎と改名した景虎は、のちに将軍足利義輝に拝謁します。

柿崎 景家(Wikipedia)

そして、義輝から一字を拝領・改名して、上杉輝虎と名乗ります。

現実的で、成人してから一度も改名しなかった織田信長。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

そんなにコロコロ、
名前変えるなよ。

どれが正しいか、
分からなくなるだろ!

現実的な信長からしたら、このように思ったに違いない。

瞬間的に、200万石以上の領土を抱え、大勢の関東武士を従属させた長尾家ならぬ上杉家。

戦国の世に、猛突進してゆきます。

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