「軍事力x若さx権威」の猛烈なパワーで関東へ殴り込んだ長尾景虎〜木っ端微塵となった北条帝国・関東管領上杉政虎誕生〜|上杉謙信3・人物像・軍事能力

前回は「越後の龍・長尾景虎の猛烈なパワー〜長尾から上杉へ・歯軋りする北条氏康・関東管領の威光・桶狭間の合戦の衝撃・揺れる甲相駿三国同盟〜」の話でした。

戦国大名 上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

「軍事力x若さx権威」の猛烈なパワーで関東へ殴り込んだ長尾景虎

関東勢力図 1555年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

1560年に長尾から上杉となった長尾景虎。

今日から、私は
長尾ではなくて、上杉!

「領土欲・物欲・金銭欲」に関しては、「乏しい」と評価されている景虎。

ところが、のちに足利将軍家に会うために、わざわざ山城まで大軍勢を率いて行きます。

景虎の人生を振り返ってみるとき、景虎は結構権威は好きだったような気がします。

今までは「越後守護代」長尾だったが、
今日からは「関東管領」上杉だ!

甲斐守護の武田信玄から「格下扱い」されていた、景虎。

そこへ、

長尾景虎殿、
あなたしか頼る相手がいない・・・

我が、上杉家は
あなたに継いで欲しい・・・

と景虎を頼ってきたのが、上野を拠点に大きな勢力を持っていた上杉憲政でした。

ははっ!
お任せ下さい!

私が「関東管領」になって、
北条をこらしめます!

「軍事力x若さ」を持っていた景虎。

そこに、「関東管領という権威」が加わり、「軍事力x若さx権威」を有した景虎。

そして、「上杉」となった景虎は同年から1561年にかけて疾風のごとく猛烈な勢いで関東へ侵入しました。

関東勢力図 1561年頃(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋)

関東北部から攻め込み、「関東管領」の威光により、関東の国衆が続々と景虎に従います。

私は
関東管領だ!

総勢10万以上となった上杉軍は、破竹の勢いで、北条家本拠の小田原城まで攻めこみます。

木っ端微塵となった北条帝国

戦国大名 北条氏康(Wikipedia)

伊豆・相模から徐々に関東地方を侵食し続け、「北条帝国」を築き上げた北条家。

そして、三代目となった名将・北条氏康を頂点に、「北条帝国」は大きな繁栄を続けていました。

もう関東は、
北条様のものだな!

北条様に、歯向かうのは
関東にはいないだろうな!

と関東の国人・国衆たちは思っていたでしょう。

そこに、乗り込んできたのは、「関東ではない」越後の上杉景虎でした。

進め!
進めぇ〜!

この当時、「軍事力x若さx権威」の圧倒的な力を持って、殴り込みをかけていった上杉景虎。

なんなんだ?
この勢いは?

北条氏康は、あまりの衝撃に愕然とします。

名前生年(一部諸説あり)
毛利元就1497年
北条氏康1515年
武田信玄1521年
上杉謙信1530年
織田信長1534年
戦国大名の生年

あの上杉を継いだ
長尾の小僧が?

まだ若手でありながら、老練な北条氏康にとって、15歳年下の小僧の上杉景虎。

ちょ、ちょっと待て・・・
なんだ、一体・・・

感覚的には「関東の半分程度は上杉謙信についた(従属した)」といっても良いでしょう。

そして、「滅亡寸前まで追い込まれた」と表現しても良い状況の北条家。

我こそは、
関東管領、長尾景虎だぞ!

上杉家を
舐めすぎたか・・・・・

追い込んだ山内上杉氏が、まさか越後長尾を頼るとは、思いもしなかった氏康。

山内上杉氏を追放して、関東の王になった
と思ったが・・・

そして、「上杉憲政が長尾景虎を頼って落ち延びた」話を軽視していた氏康。

上杉憲政のやつは、
越後に落ち延びて、もう関東には来ないと思っていた・・・

こんな、
しっぺ返しを喰らうとは。

小田原城での籠城を余儀なくされた北条氏康。

歯軋りして悔しがりますが、猛烈な勢いの長尾軍には敵しようがありません。

だが、小田原城は、
天下一の堅城!

関東管領・上杉政虎誕生

上杉家家臣 宇佐美定満(Wikipedia)

うわははは!
我が上杉家の勢い、極まれり!

おそらく、当の本人である上杉景虎自身も、

これほど、関東侵攻が大成果を
上げるとは、おもわなかった・・・

が本音だったでしょう。

上杉家の関東管領職
引き継ぎの儀式を執り行う!

調子に乗った上杉景虎。

北条家に対して、これ見よがしに鶴ヶ丘八幡宮で、上杉憲政から正式に関東管領職を引き継ぎの儀式をします。

そして、上杉景虎から上杉政虎に改名します。

柿崎景家・宇佐美定満ら優れた将軍をキラ星の若く大勢抱えた上杉家は、一つの絶頂期を迎えます。

上杉政虎と改名した景虎は、のちに将軍足利義輝に拝謁します。

上杉家家臣 柿崎景家(Wikipedia)

そして、義輝から一字を拝領・改名して、上杉輝虎と名乗ります。

現実的で、成人してから一度も改名しなかった織田信長。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

そんなにコロコロ、
名前変えるなよ。

どれが正しいか、
分からなくなるだろ!

現実的な信長からしたら、このように思ったに違いない。

瞬間的に「200万石以上の大領土」を抱え、大勢の関東武士を従属させた長尾家ならぬ上杉家。

我が上杉家に
敵なし!

実際、この「200万石以上の大領土」を堅実に制圧していたら、上杉家が最強になったでしょう。

「軍事力x若さx権威」に加え、大領土・大量の家臣団を有した関東管領・上杉政虎。

いわば、「軍事力x若さx権威x大領土x大量の家臣団」を保有するに至り、

武田信玄など、
敵ではないわ!

・・・・・

意気揚々とする「若手」の上杉政虎。

戦国の世に、猛突進してゆきます。

そして、ちょうどこの頃、もう一人の「若造」が戦国の世に殴り込みをかけました。

桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

うわっはっは!
今川義元討ちとったり!

これで、上杉政虎・織田信長という、武田信玄・北条氏康・毛利元就からみたら「若造コンビ」が揃いました。

そして、この1560〜1561年ごろから、戦国の風雲は急速に拡大してゆくのです。

新歴史紀行

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