徳川家光にも信頼された加藤嘉明〜徳川幕府旗本となった加藤家・関ヶ原の合戦へ・豊臣家の大亀裂を利用した徳川家康・秀吉の朝鮮侵攻の後・誰も得るものがなかった大戦争〜|松山城のたそがれ9・四国の歴史

前回は「朝鮮侵攻の豊臣水軍を指揮した加藤嘉明〜李舜臣登場の大衝撃・日本で独自発展した鉄砲・朝鮮軍の内部抗争と李舜臣撃退・豊臣秀吉の死〜」の話でした。

目次

秀吉の朝鮮侵攻の後:誰も得るものがなかった大戦争

松山城(新歴史紀行)

無骨な加藤嘉明の雰囲気を具現化したかのような、松山城内の梁。

太閤 豊臣秀吉(Wikipedia)

次は
朝鮮・明だ!

朝鮮と明を
我が手にするのだ!

こうして「秀吉の誇大妄想」とも言える状況の中、朝鮮へ大軍勢で攻め込んだ日本軍。

文禄の役(「戦国合戦大全」下巻 歴史群像シリーズ 学研)

1592年から93年には文禄の役。

慶長の役(「戦国合戦大全」下巻 歴史群像シリーズ 学研)

そして、1597年から秀吉の死の1598年まで続いた慶長の役。

露と落ち・・・露と消えにし・・・
我が身かな・・・

浪速のことも
夢のまた夢・・・

稀代の大英雄でもあった秀吉は、豊臣秀吉となった後は「タガが外れた」ような状況でした。

日本軍・朝鮮軍・明軍の多数の将兵の死者を出して、誰も何も得るものがなかった戦争でした。

朝鮮軍提督・将軍 李舜臣(Wikipedia)

当初は、日本軍に押され続けた朝鮮軍は、李舜臣将軍の奮闘で挽回しました。

ところが、朝鮮国の内部抗争で落魄した李舜臣。

最後は、日本軍と「決死の戦い」を実行して戦死してしまいました。

日本軍を
撃退できたなら、本望・・・

関ヶ原の合戦へ:豊臣家の大亀裂を利用した徳川家康

戦国大名 加藤嘉明(Wikipedia)

そして、長年の無益な戦争は、前線の豊臣家臣団に「修復不可能な亀裂」を発生させました。

武断派と文治派の間に発生した「強烈な亀裂」は、もう「割れるしかない」状況でした。

武闘派の一人とも言える加藤嘉明は、当然、加藤・福島ら武断派の一人。

国内でのうのうとしていた
佐吉(石田)め!

俺たちは、
死ぬ思いで戦ってきたのだ!

戦国大名 加藤清正(Wikipedia)

佐吉は
絶対に許せん!

蔚山では
死にかけた・・・

実際、加藤清正たちは、朝鮮の地で「死と隣り合わせ」のような壮絶な戦いを繰り広げました。

石田三成たち奉行もまた、兵站をしっかりするという「後方支援」に尽力していたのもまた事実です。

しかし、最前線で「死ぬかもしれない」激闘を繰り広げ、武器弾薬・食料が尽きかけた経験のある清正。

新歴史紀行
戦国大名 福島正則(Wikipedia)

俺たちをなんだと
思っているんだ!

佐吉を消すのが、
豊臣家のため!

うむ・・・
そうだな!

加藤清正を首領格とした武断派にいて、若き加藤嘉明もまた、大いに荒れます。

戦国大名 徳川家康(Wikipedia)

ここで、割って入ったのが五大老筆頭の徳川家康。

みなさんの気持ちは、
とても良く分かる・・・

うんうん・・・
私も長年戦いの人生だったからな・・・

ここは、ワシに任せて
みてはどうかのう・・・

さすがは
徳川殿!

我らは内府(徳川)の元に
集まります!

このように、秀吉一代で築いた豊臣家は、あっけなく分裂し、関ヶ原の合戦へと至ります。

仲間
割れとは・・・

冥土で「関ヶ原の合戦」を見た秀吉は、家康に対する憎しみもあったでしょう。

我が豊臣家は、
こんなにもあっけない組織だったのか・・・

・・・・・

一方で、あまりに呆気なく瓦解した「豊臣家の組織」にもまた、愕然としたに違いない。

なんで、こんなに簡単に
壊れたのだ・・・

そして、関ヶ原の合戦で勝利した東軍・徳川軍。

加藤殿は、
よく働いてくれた・・・

10万石
加増しよう・・・

はっ!
有難き幸せ!

こうして20万石の中規模大名となった加藤嘉明。

徳川家光にも信頼された加藤嘉明:徳川幕府旗本となった加藤家

新歴史紀行
松山城(新歴史紀行)

質実剛健な松山城を築城した加藤嘉明は、長生きします。

新歴史紀行
第三代将軍 徳川家光(Wikipedia)

時は、三代将軍 徳川家光の時代。

加藤殿は、
武勇に優れ、信用もできる。

武略優れた加藤嘉明は、家光にも買われます。

さらに加増するので、
徳川家を支えてもらいたい。

その後は会津へ転封され、43万石あまりを領する大大名となります。

ところが、加藤嘉明の死後に息子の代で徳川幕府に睨まれ、改易となりました。

大名としての加藤家は廃絶となりましたが、旗本として徳川家を支え続けました。

松山城(新歴史紀行)

少し地味ながら水軍を担い、時代の中枢に居続けた質実剛健な加藤嘉明の築いた城・松山城。

松山の街も美しい街ですので、ぜひご訪問ください。

新歴史紀行

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