前回は「松山城のたそがれ 7〜文禄・慶長の役〜」の話でした。

主に後方支援が中心ながら、水軍をまとめる加藤嘉明。


私の後方支援・兵站線の確保で、
虎之助たちが奮闘している。


前線では猛烈な勢いで、加藤清正・小西行長たちが、朝鮮の奥深くまで攻め込んでいました。
これは、「朝鮮軍が弱かった」のではなく、戦国期に戦い続けた日本の将兵が強かったのです。



この調子ならば、
朝鮮制圧は目前か。


そして、戦国期に日本に伝来した鉄砲。
当時、欧州で発展していた鉄砲でしたが、独自の鉄の加工技術によって、日本では大量生産が進んでいました。


鉄砲を打つために必要な「硝石」の国内生産がほとんどなく、輸入に頼る必要があった日本。


そこが弱点でしたが、織田信長以来、堺や博多などの港経由の貿易が非常に栄えていたため、硝石の確保も出来ました。
順調に勝利を続ける日本軍に立ちはだかった、新たな朝鮮軍の将軍が登場します。


李舜臣将軍です。



おい!
お前ら、いい加減にしろ!
強力な水軍と、非常に優れた指揮官であった李舜臣に日本軍は苦戦します。





これは手強いぞ!



押せ、押せ!



豊臣水軍の総力を上げて、
戦うのだ!



我が朝鮮に攻め込む
不敵な奴らを倒せ!
李舜臣率いる水軍に苦戦するも、歴戦の士であった加藤嘉明らの奮戦で撃退します。



李舜臣を倒せ!
なんとか李舜臣率いる水軍に勝つも、二度目の外征となる慶長の役では、朝鮮南部までで侵攻が止められます。



無念だ。
李舜臣は戦死し、日本水軍の勝利となりますが、大損害を被ります。
そして、加藤清正たちが奮戦するなか、日本で衝撃的な事態が発生しました。





あとは頼む。



徳川殿・・・
絶対君主だった秀吉が亡くなってしまいました。



これでは、なんのために
朝鮮に攻め込んだのか・・・
秀吉の死を秘匿して、日本軍は撤退します。
しかし、加藤・福島ら武断派と石田三成ら文治派の間に、「修復不可能な溝」が出来ました。



三成め!

