松山城のたそがれ 4〜本能寺の変と開ける運命〜|秀吉と加藤嘉明

前回は「松山城のたそがれ 3〜加藤嘉明の城〜」の話でした。

松山城(新歴史紀行)

戦国時代の中でも、それほど知名度は高くない加藤嘉明。

加藤 嘉明(Wikipedia)

しかし、武勇に優れ、実直な加藤嘉明は秀吉に重宝されます。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

順調に備中を攻略していた羽柴秀吉軍に、大きな一報が入ります。

本能寺の変 1(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

本能寺の変勃発です。

そして、中国大返しした羽柴軍に、加藤嘉明も従軍します。

羽柴秀吉 中国大返し 2(歴史道vol.13 朝日新聞出版)

山崎の合戦でも大いに武勇を振るい、さらに加増されました。

明智軍を倒したぞ!

明智 光秀と羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

清洲会議で事実上織田家の後継者となった秀吉。

次には柴田勝家と対峙します。

柴田 勝家と羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

そして、賤ヶ岳の戦いで、羽柴秀吉と柴田勝家が雌雄を決し、羽柴軍が勝利します。

この時に、「賤ヶ岳七本槍」の一人として、加藤清正・福島正則らとともに名をあげた加藤嘉明。

ついに、羽柴家
七本の指に入った!

この後、加藤清正・福島正則が急速に出世してゆくのに対して、加藤嘉明たちは少し出遅れます。

加藤 清正(Wikipedia)

これは、加藤嘉明が「加藤清正たちより劣っていた」が理由ではありません。

主な理由は、加藤・福島らが尾張出身で「秀吉・おねの方に長年仕えていた」からです。

福島 正則(Wikipedia)

特に、福島正則に至っては、秀吉の身近な血縁者でした。

俺も
頑張っているのに・・・

虎之助(加藤)や、市松(福島)ばかり
優遇されて・・・

ちょっとボヤく加藤嘉明。

しかし、剛直な加藤嘉明は

益々頑張るぞ!

と秀吉に尽くす方針を貫きます。

松山城(新歴史紀行)

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