剛直な装いの松山城と質実剛健な加藤嘉明〜秀吉の養子・秀勝の小姓へ・奮起・前のめりすぎて大失敗して開けた運命・秀吉の直臣へ〜|松山城のたそがれ2・四国の歴史

前回は「松山城のたそがれ 1〜伊予国・愛媛県・コンパクトで風光明媚な街・松山・加藤嘉明の城・三河出身の加藤家の歴史・織田家出世頭の秀吉と開ける加藤嘉明の未来・現存12天守〜」の話でした。

目次

剛直な装いの松山城

松山城(新歴史紀行)

地味ながら剛直だった、加藤嘉明の雰囲気を思い起こさせる松山城。

松山城は「現存12天守(天主)」の一つで、とても貴重な城です。

現存12天守

・姫路城(兵庫県姫路市)

・彦根城(滋賀県彦根市)

・犬山城(愛知県犬山市)

・松江城(島根県松江市)

・松本城(長野県松本市)

・丸亀城(香川県丸亀市)

・丸岡城(福井県坂井市)

・宇和島城(愛媛県宇和島市)

・備中松山城(岡山県高梁市)

・高知城(高知県高知市)

・弘前城(青森県弘前市)

・松山城(愛媛県松山市)

姫路城、彦根城、松本城などに行ったことがありますが、中でも際立って「城らしい」雰囲気の松山城。

世界遺産にもなっている姫路城は、「観光スポット」としての要素が加わり、非常に煌びやかな雰囲気です。

姫路城(新歴史紀行)

池田輝政が姫路城を建築した際には、「姫路周辺に武威を示す」ことも大事な目的でした。

初代播磨姫路藩主:池田輝政(Wikipedia)

我が池田家が西日本に
睨みを効かせるのだ!

それに比べて「守る・防衛する」という「城本来の目的」が濃厚に現れている松山城。

質実剛健な加藤嘉明:秀吉の養子・秀勝の小姓へ

 戦国武将 加藤嘉明(Wikipedia)

加藤清正と同じ「加藤」姓の加藤嘉明は、秀吉の勢力が勃興し始めた時期に、

秀吉様に
仕えたぞ!

加藤嘉明が13歳の頃に、羽柴秀吉に仕え始めます。

戦国大名 羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この子は、
なかなか剛直だ。

養子の秀勝の
小姓にしよう。

頑張ります!

秀吉の養子・秀勝は、秀吉が織田信長の子を貰い受けて養子にした子でした。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

なかなか子供が生まれない羽柴秀吉。

後継ぎが生まれないことは、
戦国に生きる武将としては致命的だ・・・

悩む秀吉。

・・・・・

ここで、秀吉は「状況を逆手にとって活かす」方法を思いつきます。

信長様、
お子様を我が養子にしてください!

我が子を猿(秀吉)の養子に?
それも面白かろう!

よし!
秀勝をそなたの養子にする!

信長の子を養子にすることで、秀吉は

これで羽柴家は
安泰だ!

と考えました。

信長にとっては、

これで、猿にいくら所領をやっても、
結局我が子が継ぐのだ・・・

という思惑もあったのでしょう。

奮起・前のめりすぎて大失敗して開けた運命:秀吉の直臣へ

松山城(新歴史紀行)

このまま、織田家が拡張し羽柴家も大きくなれば、そのうち秀勝が当主になります。

次期羽柴当主の
秀勝様の小姓だ!

ところが、ここで前向きすぎて、勢い込んだ加藤嘉明。

秀吉の播磨侵攻の際には、秀勝の初陣前に抜け駆けして初陣に出ます。

高台院(おねの方)(Wikipedia)

これに激怒してのが、秀吉の奥様のおねの方(ねね)です。

のちに従一位高台院となる、おねの方。

女好きの秀吉に悩まされながらも、羽柴家での発言力は非常に大きなものでした。

羽柴家が豊臣家になるに至るまで、超強力な政治力を行使した「おねの方」。

実の子ではないものの、秀勝を可愛がっていた、おねの方は

小姓の分際で、
秀勝より先に初陣とは!

こんな小姓は
いりません!

激怒します。

松山城(新歴史紀行)

ここで、秀吉は、

まあまあ・・・

この積極性は
大いに使える。

積極的で剛直な加藤嘉明を庇い、直臣にします。

300石やる。
励め!

励みます!

加藤嘉明少年は、奮起して頑張ります。

この事件をきっかけに、秀吉の直臣になったことが加藤嘉明の運命を開きます。

新歴史紀行

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