松山城のたそがれ 2〜嘉明、秀吉の配下へ〜

前回は「松山城のたそがれ 1〜加藤嘉明の城〜」の話でした。

松山城(新歴史紀行)

地味ながら剛直だった、加藤嘉明の雰囲気を思い起こさせる松山城。

加藤 嘉明(Wikipedia)

秀吉様に仕えたぞ!

加藤嘉明が13歳の頃に、羽柴秀吉に仕え始めます。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この子は、なかなか剛直だ。

養子の秀勝の
小姓にしよう。

頑張ります!

秀吉の養子・秀勝は、秀吉が織田信長の子を貰い受けて養子にした子でした。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

なかなか子供が生まれない羽柴秀吉は、信長の子を養子にすることで、

これで羽柴家は
安泰だ!

と考えました。

このまま、織田家が拡張し、羽柴家も大きくなれば、そのうち秀勝が当主になります。

次期羽柴当主の
秀勝様の小姓だ!

しかし、ここで前向きすぎて、秀吉の播磨侵攻の際には、秀勝の初陣前に抜け駆けして初陣に出ます。

これに激怒してのが、秀吉の奥様のおねの方(ねね)です。

高台院(おねの方)(Wikipedia)

のちに従一位高台院となる、おねの方。

女好きの秀吉に悩まされながらも、羽柴家での発言力は非常に大きなものでした。

実の子ではないものの、秀勝を可愛がっていた、おねの方は

小姓の分際で、
秀勝より先に初陣とは!

こんな小姓は
いりません!

激怒します。

しかし、秀吉は、

まあまあ。

この積極性は
大いに使える。

積極的で剛直な加藤嘉明を庇い、直臣にします。

300石やる。
励め!

励みます!

加藤嘉明少年は、奮起して頑張ります。

この事件をきっかけに、秀吉の直臣になったことが加藤嘉明の運命を開きます。

松山城(新歴史紀行)

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次