前回は「映画「連合艦隊」2〜小沢治三郎と南雲忠一〜」でした。

今回は、同映画における宇垣纏と草鹿龍之介をご紹介します。
まずは宇垣纏です。
宇垣は太平洋戦争開戦時に連合艦隊参謀長として登場し、山本五十六を補佐します。
実際には山本は宇垣とは方向性が合わず、首席参謀の黒島亀人を重用していました。
この映画では宇垣が作戦指示の要として描かれています。

宇垣は大艦巨砲主義の権化のような存在、対する草鹿龍之介は航空戦主戦者で非常に対照的に描かれています。

二人が登場する時、草鹿は南雲に言います。

あれ(宇垣)は根っからの大砲屋。



あいつ(宇垣)には、
飛行機のことなど、わからない!
非常に、険悪な雰囲気を出しています。
海兵卒業期は、宇垣が40期、草鹿が41期。
一つの違いです。
一つ、二つの違いは、ライバル心が出るのでしょう。
草鹿は、南雲機動部隊の参謀長として、南雲忠一第一航空艦隊司令長官を補佐します。
初戦に太平洋・インド洋を、またにかけて暴れ回った南雲機動部隊。



我らが最強よ!


順風満帆だった南雲・草鹿は、ミッドウェー海戦で、信じられないような記録的敗北を喫します。



油断していた・・・



申し訳御座いません・・・
山本司令長官に懇願して左遷を免れ、最前線に居続けます。
あれほどの「取り返しのつかない」大敗北の責任者・指揮者が「責任をとらずに、居続ける」ことが信じ難いことです。
これは、当時の陸海軍ではよく見られたことでした。
その後、日本海軍は米海軍に押しまくられ、レイテ沖海戦で小沢長官率いる部隊が、米海軍に臨みます。


そして、最後の正式空母の瑞鶴が沈められます。


そして、事実上の戦闘能力を失います。
陸海軍とも神風特別攻撃隊の出撃を続けます。
終盤に、宇垣は鹿児島県の鹿屋基地を拠点とする、第五航空艦隊司令長官として登場します。
同時期、開戦時に宇垣が務めた連合艦隊参謀長は草鹿でした。
敗戦間近の1945年4月に 、「100%撃沈される」ことが分かっている作戦が発令されます。
「戦艦大和を残したまま、負けるわけには行かない」という、とんでもない発想でした。
大和主体のいわば「海上特攻作戦」を、軍令部は決定します。


草鹿は大和に座乗する第二艦隊の伊藤整一長官を説得に行きます。



伊藤長官が、作戦に納得するかどうか・・・


その前に、草鹿は鹿屋基地の宇垣を訪れ、「海上特攻」作戦の説明をします。



宇垣さんは嫌いなんだが・・・



護衛戦闘機はどうする!



護衛戦闘機を出す余力はないでしょう。



何言ってんだ!



むざむざ、大和を沈没させるとは・・・



それでも君は連合艦隊の参謀長(開戦時は宇垣)か!
宇垣司令長官に叱責された、草鹿参謀長。



だから、宇垣さんは嫌いなんだ・・・



あなたとは、航空戦か戦艦か、
お互いやり合いましたが・・・



もはやそういうことが言える状況ではないですな。
草鹿参謀長は、宇垣司令長官に泣きそうな顔をしながら発言します。
対して、傲岸な態度が多い宇垣司令長官。



連合艦隊を崩壊に危機に追い込んだ、責任だけが残った・・・


宇垣は司令長官としての独断で、大和出撃時に護衛戦闘機出動を命じます。



我が戦艦大和を、「護衛なしで出撃」などさせることはできない!



独断で戦闘機を出す!
しかし、米軍とは交戦することなく戦闘機は帰還し、戦艦大和は米海軍に袋叩きにあって撃沈されます。
敗戦の日、宇垣纏は自ら特攻機に搭乗し、部下と共に沖縄水域に突入・戦死します。
「司令長官自ら特攻する」という前代未聞の事態でした。



先に特攻して、散った若者たちに対するけじめだ!



「死んでこい!」と命令したのは、私だ。
宇垣なりのけじめだったのでしょう。



宇垣さんは大嫌いだった・・・



しかし、彼も武人であった・・・
敗戦決定後「指揮権が消滅している」状況の宇垣の特攻は「私兵特攻」と言われ、賛否両論です。
ただし、まだ「作戦中止命令が第五航空艦隊には届いていない」状況でした。


山本・伊藤・小沢・南雲・宇垣・草鹿に、焦点をあてた映画「連合艦隊」。
本来登場しても良いはずの山口多聞司令官等は映像では一切登場しません。
登場人物を限り、それぞれの役職・役割が入れ替わる人間模様もまた不思議な感慨を呼び起こします。
この映画では、旧日本海軍の大きな流れが分かりますので、おすすめします。
ぜひご覧ください。

