前回は「映画「連合艦隊」〜山本五十六と伊藤整一・日本海軍・戦艦大和・菊水一号作戦〜」の話でした。
南雲忠一と小沢治三郎
今回は、映画「連合艦隊」における、南雲忠一と小沢治三郎をご紹介します。
この二人は歴史雑誌などで、よく比較されます。
南雲忠一は、「大規模な空母機動部隊を日本で最初に率いた長官」として描かれます。
対して、小沢治三郎は「空母機動部隊を発案した人物」という対比です。
この二人の詳しい戦績や評価等は、また別な機会で書きたいと思います。
今回は、映画「連合艦隊」においての、この二人の話です。
上の写真を見ると小沢治三郎は一癖ありそうな人物で、南雲忠一は人柄が温厚そうな感じがします。
南雲忠一:水雷部隊の名手
実際の南雲は、かなり乱暴な言葉を使う荒くれ者ですが、映画では比較的おとなしめに描かれています。
井上がかつて軍令部 軍務局第一課長としていた頃のこと。
軍令部の権限を大幅に強化する法案に反対していました。
反対する井上に、痺れを切らした法案推進派の南雲。
酔った勢いで、
井上の馬鹿!
貴様なんか殺すのは、何でもないんだ!
短刀で脇腹をぐさっとやれば、
貴様なんかそれで終わりだ!
と詰め寄ったことがあります。(「山本五十六」阿川弘之)
小沢治三郎:機動部隊生みの親
映画において、小沢治三郎は丹波哲郎が演じ、その一癖も二癖もある感じが出ていて名演技です。
日本において、最初に大規模な空母機動部隊=第一航空艦隊が編成されます。
そして、一部海軍首脳では「機動部隊生みの親」と言われた小沢治三郎。
海軍の主戦力は
航空機・空母になる!
空母は分散させず、
数隻をまとめ戦力を集中すべし!
その小沢が、航空艦隊の長官につくことが望まれていました。
私は空母機動部隊の
生みの親なのだ!
ところが、旧日本軍における「先任順序」という制度によって、南雲になったことが描かれています。
「先任順序」は、海軍ではハンモックナンバーと呼ばれ、海軍兵学校で「年功序列・成績」という制度です。
例外は「後の卒業生(後輩)の方が、より優秀な成績で卒業した場合」は、この序列が覆ることがあったようです。
つまり「先輩の方が偉い」という、およそ実力重視の軍隊では考えられない制度でした。
ミッドウェー海戦からレイテ沖海戦へ
南雲は真珠湾奇襲攻撃を「成功」させますが、ミッドウェー海戦で米海軍に大敗北しました。
主力空母4隻を失い、敵であった米国の空母は1隻撃沈という大敗北。
これは、悪夢を超えた「超地獄ような大敗北」でした。
反撃することを願った南雲司令長官・草鹿参謀長。
この二人は、機動部隊の指揮官であり続けます。
「先任順序」と「責任を取らない人事」など旧日本軍の悪いところが描かれています。
丹波哲郎演ずる小沢は途中から指揮官として登場し、1944年のレイテ湾突入作戦において機動部隊を率います。
空母を囮に
つかうなど・・・・・
だが、囮作戦を軍令部が決定したなら、
見事務めて見せよう。
そして、見事に敵のハルゼー機動部隊を北に吊り上げる囮作戦を全うします。
Japanの機動部隊が、
囮だったと?!
囮作戦を
完遂した・・・
そんなバカなことが
あるか!
座乗していた空母瑞鶴は、米軍に撃沈されます。
この頃に、すでに日本の敗色は濃厚でした。
空母機動部隊は壊滅し戦艦大和等の艦隊が残っているとは言え、事実上海軍が壊滅した状況でした。
映画ではこのレイテ沖海戦において、神風特別攻撃隊が登場して若者が敵艦に突入する様が描かれています。
小沢軍令部次長:菊水一号作戦
映画の最後、小沢は軍令部次長(敗戦時は連合艦隊司令長官)として登場します。
そして、戦艦大和をはじめとする「海上特攻」ともいうべき突入作戦の裁可の場面になります。
勇壮果敢で
結構だが・・・
こんなものは
作戦とは言えない!
ただ、
特攻するだけになんの意味がある!
小沢は、断固反対します。
最後は開戦時直前に海軍大臣、この時に軍令部総長であったのが及川古志郎総長。
まあ、
いいではないか。
・・・・・
及川総長が「海上特攻作戦」を裁可し、作戦は決行されました。
そして、戦艦大和他の第二艦隊は、米海軍に袋叩きに遭って撃沈されます。
小沢は、敗戦間近の1945年5月に「最後の連合艦隊司令長官」に就任します。
本映画では戦艦大和沈没で終了し、敗戦のことは表現されません。
この映画では、旧日本海軍の大きな流れが分かりますので、おすすめします。
ぜひご覧ください。