島津と龍造寺の戦いを睨む立花道雪〜圧倒的な軍勢を頼みに油断していた龍造寺隆信・島津の秘策・「釣り野伏せ」と過酷な軍法〜|立花道雪13・能力・人物像・エピソード

前回は「「島津が龍造寺に押される」と考えた立花道雪〜急速すぎた勢力拡大と龍造寺隆信の慢心・「鎧袖一触」と勢いこむ龍造寺と冷静な島津〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

島津と龍造寺の戦いを睨む立花道雪

1582年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

龍造寺と島津が、
ついにぶつかるか・・・

かつて、九州で隔絶した力を持っていた
我が大友を尻目に・・・

全盛期の大友家を見て、そしてずっと大友家を支え続けてきた立花道雪。

悔しいというよりも、不思議な感覚に襲われました。

我が人生の間に、
ここまで我が大友が凋落するとは・・・

全盛期の大友家は、外国との交易にも積極的であり「日本で最先端」の大大名でした。

それが、もはや「龍造寺と島津の格下」となってしまった大友。

悔しいが、ここで大友の底力を
見せようぞ!

歴戦の武将であった道雪もまた、島津と龍造寺の決戦の情報を集めます。

龍造寺は当主隆信が出陣し、25,000ほどの軍勢。

対する島津は、当主不在で若手の島津家久率いる、有馬と合計で5,000ほどの軍勢。

これは、島津に勝ち目は
ないが、こう着状態になるか・・・

あるいは、短期で
勝敗が決まるか・・・

島津と龍造寺の戦いを、ジッと睨む立花道雪でした。

圧倒的な軍勢を頼みに油断していた龍造寺隆信

戦国大名 龍造寺隆信(Wikipedia)

ワシは、
九州最強の武将だ!

島津家久なんぞ、
敵では無いわ!

大体、なぜ島津義久か義弘が
出てこない?

ワシの強さに
恐れをなしたか!

龍造寺家重臣 鍋島直茂(Wikipedia)

智勇兼備の鍋島直茂も出陣し、側面を固めていました。

隆信様!
島津を一揉みにしましょう!

まさに、龍造寺家の総力を
挙げた合戦!

進め!
進めぇ〜!

自らの本陣を、どんどん前に進めた龍造寺隆信。

圧倒的な軍勢を頼みに油断していたのが、この時の龍造寺隆信でした。

沖田畷の戦い(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

耳川の合戦同様、数の上では、遥かに劣勢であった島津軍でした。

ここは、島津家のお家芸を
仕掛けるしかない!

「釣り野伏せ」を大々的に
展開するのだ!

島津秘伝のお家芸「釣り野伏せ」を狙って、虎視眈々と龍造寺を待ち受けていた島津家久。

島津の秘策:「釣り野伏せ」と過酷な軍法

沖田畷の戦い図(歴史群像シリーズ12 戦国九州軍記 学研)

実は劣勢の島津家は、龍造寺家よりも1週間ほど早く、戦場に到達していました。

ここで龍造寺との
決戦となる!

この周辺を
徹底的に調べておくのだ!

そして、周辺の地形を詳細に調べ上げていたのです。

沖田畷の湿地帯を
最大限活用するのだ!

湿地では動きが鈍くなり、
大軍を活かせなくなる。

そこを
撃破するのだ!

まさに、桶狭間の戦いの織田信長のような発想で、島津家久は考えます。

大軍勢であっても、
動きが鈍ければ、勝機は大いにある!

ところが、有馬勢を合わせても5,000ほどの軍勢であった島津。

龍造寺の1/5でしかありません。

もはや「死中に活を求める」
他になし!

決死の気持ちになった島津家久。

非常かつ過酷とも言える軍法を、全軍に申し渡します。

合戦が終わった時、
持ち場から前進していること!

横にずれたり、
多少交代しているのは良い!

しかし、それは
「正面の敵を全て撃破していること」が条件だ!

これに背くものは、大将・士卒に関わらず、
全員死罪!

全員
分かったな!

ははっ!

決死の形相で、龍造寺との決戦に臨む島津家久。

対する龍造寺隆信は、

小賢しい
策略など不要!

余裕で勝てる!
鎧袖一触よ!

ただただ、
突き進むのみ!

油断しきっていたのでした。

新歴史紀行

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