「島津が龍造寺に押される」と考えた立花道雪〜急速すぎた勢力拡大と龍造寺隆信の慢心・「鎧袖一触」と勢いこむ龍造寺と冷静な島津〜|立花道雪12・能力・人物像・エピソード

前回は「島津と龍造寺の激突をチャンスと考えた立花道雪〜大友宗麟が「考えもしなかった」龍造寺の勢力大拡張・龍造寺と島津の大激突へ〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

急速すぎた勢力拡大と龍造寺隆信の慢心

1582年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

急速すぎるほどの勢いで勢力拡大していた龍造寺。

元々は「大友家の一部」のような存在だったのが、肥前を根拠地に急速に版図を拡大しました。

肥前・筑前・筑後・武是・肥後の五カ国に勢力を伸ばした龍造寺。

龍造寺は急速に勢力を拡大して、100万石ほどのパワーを有するに至ったのでした。

傘下の有馬氏の謀反に激怒した龍造寺隆信。

おのれ、有馬め!
我が龍造寺を裏切りおって!

血祭りに
あげてやるわ!

あまりに急速な勢力膨張は、最盛期の織田家を彷彿とさせるほどでした。

新歴史紀行
1580年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

急速すぎた勢力拡大は、龍造寺隆信を大いなる満身へと導きました。

「鎧袖一触」と勢いこむ龍造寺と冷静な島津

戦国大名 龍造寺隆信(Wikipedia)

龍造寺家の総力を挙げた25,000の大軍を引き連れて、島原半島に乱入した龍造寺隆信。

我が軍は
25,000!

対して、
島津は3,000だと!

これは
鎧袖一触よ!

島津家は当主 島津義久の末弟 家久率いる3,000の軍勢。

圧倒的劣勢の島津軍でしたが、島津家久は島津義弘とも比肩できる名将でした。

戦国大名 島津義弘(図説・戦国武将118 学研)

これは
我が島津の大チャンスだ!

もともと「小勢で大軍勢を倒す」ことが得意な島津軍。

我が島津の
「釣り野伏せ」を喰らわせよ!

闘将というより闘神に近い存在であった島津義弘。

そして、島津義弘の影響を強く受けていた闘将・島津家久。

島津家久は最初から、低湿地の沖田畷を戦場に予定します。

この地ならば大軍勢が動かせないので、

小勢でも、
我が島津はなんとか戦える!

と考えたのです。

1582年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

島津家久は、乗ってきた軍船を全て返して、決死の覚悟で臨みます。

まさに背水の陣。

大軍で島津軍を飲み込む勢いの龍造寺軍。

もはや、龍造寺の圧勝は、
決まったようなもの!

「島津が龍造寺に押される」と考えた立花道雪

龍造寺家重臣 鍋島直茂(Wikipedia)

成松信勝・百武賢兼らの武闘派ばかりではなく、智勇兼備の鍋島直茂も出陣していました。

義弟でもある直茂も、
おるからな・・・

我が龍造寺は、
万全すぎる体勢よ!

大いに奮い立つ龍造寺隆信でした。

これは、さすがの島津も、
防戦一方であろう・・・

こう「島津軍が押される」ことを推測するしかなかった立花道雪。

それは「当然の推測」でもありました。

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左上から時計回りに、戦国大名 武田信玄、織田信長、毛利元就、上杉謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

この状況を見たら、武田信玄・上杉謙信・毛利元就たちも同様な推測をしたに違いないでしょう。

もちろん、軍事能力が卓越していた織田信長も同様でしょう。

ところが、歴戦の武雷神・立花道雪が「想定のかけらもしない」方向に戦いは進んでいったのでした。

次回は上記リンクです。

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