のけ者にされた大友家と立花道雪〜完全に覇気を失った「九州の覇王」・異常に優れていた龍造寺の家臣団・島津と龍造寺の激突へ〜|立花道雪10・人物像・エピソード

前回は「一気に凋落した大友家〜格下大名龍造寺に西から領土を侵食された大友家・智勇兼備の勇将鍋島直茂・九州随一の知謀を持つ男〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

完全に覇気を失った「九州の覇王」

1580年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

かつての「九州の帝王」大友家が著しく勢力後退しました。

そして、新たに「島津と龍造寺の二強」とも言える状況になった九州。

大友宗麟(Wikipedia)

かつては「九州の覇王」であった大友宗麟。

その大友宗麟自身は、もはや往年の覇気を失っていました。

もう
疲れたわ・・・

ワシは、小さくともキリシタンの国をつくって、
ひっそり過ごしたい・・・

せめて、かつてからの大友の
本拠地の豊後・豊前は、わが領土に!

1582年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

その最中、睨み合っていた龍造寺と島津が激突します。

きっかけは、龍造寺に従属していた有馬晴信が、島津に寝返ったことでした。

異常に優れていた龍造寺の家臣団

戦国大名 龍造寺隆信(Wikipedia)

有馬が、
島津側に寝返っただと?

おのれ、
有馬め!

血祭りに
あげてやるわ!

意気込む龍造寺隆信。

大友家・島津家と比較すると元々、守護でもない龍造寺家。

この頃は、大友・島津と並んで「九州三国志」となっていましたが、明らかに格下の龍造寺。

龍造寺は、あまりに急速に膨張しすぎました。

龍造寺家重臣 鍋島直茂(信生)(Wikipedia)

それは、龍造寺隆信の戦闘能力・カリスマに加え、補佐する鍋島直茂がいたことでした。

日本有数の名将だった鍋島直茂が「義弟としてしっかり隆信を支えた」ことが最大の要因でした。

私は
文武両道だ!

さらに成松信勝・百武賢兼らの戦闘能力の高い個性派の武将が大勢いた龍造寺家。

新歴史紀行
武田四天王:左上から時計回りに山県昌景、高坂昌信、内藤昌豊、馬場信春(Wikipedia)

彼らは「龍造寺四天王」と呼ばれ、武田四天王ほどの華はないものの、かなりの軍事能力を有していました。

急ごしらえの勢力としては、異常なくらい良い人材が集まっていたのでした。

ところが、有馬晴信は、失地回復をねらって龍造寺に叛いたのでした。

そして、島津側について、龍造寺家を牽制します。

のけ者にされた大友家と立花道雪:島津と龍造寺の激突へ

戦国大名 島津義弘(図説・戦国武将118 学研)

おのれ!
血祭りにあげてくれる!

怒り心頭の龍造寺隆信。

隆信は今や「五州二島の領主」と呼ばれる存在です。

猛烈な勢いを持っている龍造寺家。

龍造寺のフルパワーで、有馬潰しに臨むことを決断します。

ワシ自ら、
有馬を潰しにゆくのだ!

隆信様が出馬しなくても、
我らで有馬を叩きに参ります。

直茂よ・・・
有馬を徹底的に叩いて、見せしめとするのだ!

「龍造寺には背けない」と
思わせるのが大事だ!

ワシに
全てを任せよ!

はっ!

最近の隆信様は、
少し急ぎすぎだ・・・

いよいよ、島津と龍造寺が激突します。

ところが、急成長というより、凄まじい勢いで急膨張しすぎていた龍造寺。

龍造寺家には、黒い影が近づいていたことに気づいていたのは、誰もいなかったのかもしれません。

我が龍造寺は、
大丈夫だろうか・・・

龍造寺で群を抜いた智将であった鍋島直茂を除いては。

新歴史紀行

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