明智光秀と羽柴秀吉〜光秀と秀吉の性格 1〜|戦国武将

前回は「明智光秀と羽柴秀吉〜織田家での立場 2〜」の話でした。

明智光秀と羽柴秀吉

織田政権が、明確に見えてきた1580年。

1580年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

信長は突如、宿老であった林秀貞・佐久間信盛を追放します。

佐久間信盛(Wikipedia)

彼らが追放されたのは、織田家による天下統一の目処がつき、信長が「織田家と日本の将来」を考えたことによります。

信長が、南蛮(スペイン・ポルトガル)との関係を深く考える過程において、起きた突発的事件です。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

織田の天下となり、私が日本の主人となる。

南蛮などに対しては、「余が日本の王」であることを
伝える必要がある。

「権威はあるが、軍事力・経済力はない」天皇・朝廷の存在。

日本国内は良いとしても、対外的には分かりにくい存在が信長の頭を悩ましていました。

征夷大将軍・関白・太政大臣、いずれも朝廷の下僕ではないか。

信長は、「余が最も偉いのだ」と対外的に主張する方針を固めていました。

対して、林・佐久間は、信長の父・信秀の代から支えています。

今や神格化された信長。

信長の若い頃も、よく知っています。

信長様の悪いところは諌めなければ!

それは、私や林でなければ出来ぬこと!

信長に対する姿勢を、あまり変えなかったのでしょう。

私に諫言だと!

馬鹿者めが!

消えよ!

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長様は天下様なのだ!

そのあたりは光秀も秀吉も、共に上手に信長と接し、「信長を立てる」姿勢を貫いていたのでしょう。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

石ころのような存在であった私を、
引き上げて下さった信長様!

「無能だったから」ではなく、「あまりに織田家の中での立場が重すぎた」林秀貞と佐久間信盛。

彼らは、「信長を天下人として立てなかった」が故に、追放されたのでした。

余は日本の王・皇帝なのだ!

余を敬え!

余を敬えぬものは、いらん!

対して、信長の性格をよく知っていて、「非常に気にしなければならない」立場の秀吉と光秀。

はは〜っ!
信長様こそ、日本の王!

信長様こそが、トップに立つ方。

猿もキンカン頭も、良く分かっている。

うまく信長との関係を、続けていたのでした。

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