前回は「明智光秀と羽柴秀吉〜織田家での立場 2〜」の話でした。

織田政権が、明確に見えてきた1580年。

信長は突如、宿老であった林秀貞・佐久間信盛を追放します。

彼らが追放されたのは、織田家による天下統一の目処がつき、信長が「織田家と日本の将来」を考えたことによります。
信長が、南蛮(スペイン・ポルトガル)との関係を深く考える過程において、起きた突発的事件です。


織田の天下となり、私が日本の主人となる。



南蛮などに対しては、「余が日本の王」であることを
伝える必要がある。
「権威はあるが、軍事力・経済力はない」天皇・朝廷の存在。
日本国内は良いとしても、対外的には分かりにくい存在が信長の頭を悩ましていました。



征夷大将軍・関白・太政大臣、いずれも朝廷の下僕ではないか。
信長は、「余が最も偉いのだ」と対外的に主張する方針を固めていました。
対して、林・佐久間は、信長の父・信秀の代から支えています。
今や神格化された信長。
信長の若い頃も、よく知っています。



信長様の悪いところは諌めなければ!



それは、私や林でなければ出来ぬこと!
信長に対する姿勢を、あまり変えなかったのでしょう。



私に諫言だと!



馬鹿者めが!



消えよ!





信長様は天下様なのだ!
そのあたりは光秀も秀吉も、共に上手に信長と接し、「信長を立てる」姿勢を貫いていたのでしょう。





石ころのような存在であった私を、
引き上げて下さった信長様!
「無能だったから」ではなく、「あまりに織田家の中での立場が重すぎた」林秀貞と佐久間信盛。
彼らは、「信長を天下人として立てなかった」が故に、追放されたのでした。



余は日本の王・皇帝なのだ!



余を敬え!



余を敬えぬものは、いらん!
対して、信長の性格をよく知っていて、「非常に気にしなければならない」立場の秀吉と光秀。



はは〜っ!
信長様こそ、日本の王!



信長様こそが、トップに立つ方。



猿もキンカン頭も、良く分かっている。
うまく信長との関係を、続けていたのでした。