明智光秀と羽柴秀吉〜織田家での立場 1〜|戦国武将

前回は「明智光秀と羽柴秀吉〜二人の関係〜」の話でした。

共に「中途入社組」と言われる明智光秀と羽柴秀吉。

1575年当時、天下に知られた織田家の要は、柴田勝家と丹羽長秀だったでしょう。

柴田勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

当時「木下藤吉郎」と名乗っていた秀吉。

藤吉郎では足軽みたいだ。
そろそろ、かっこいい名前にしなければ!

当時、織田家で最も勢いのあった柴田・丹羽からそれぞれ一字をもらって、羽柴秀吉と名乗ります。

丹羽長秀(Wikipedia)


その柴田・丹羽以外には、長年の宿老である佐久間信盛・林秀貞がいます。

佐久間信盛(Wikipedia)

さらに歴戦の士であり、宿老格でもある滝川一益・池田恒興が、柴田・丹羽・林・佐久間に次ぎます。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

立場はもう少し軽いものの、佐々成政・前田利家などの「血筋も良い」若手軍団や、信長お気に入りだった河尻秀隆も見逃せません。

佐々成政(歴史人2016年12月号 KKベストセラーズ)

彼らがガッチリ上層部を抑えていました。

織田家中途組と言われることが多い秀吉。

しかし、なんと言っても20代半ばから織田信長に仕えているので、古参の武将です。

「経歴など関係なく、能力に応じて人材抜擢した」と言われる織田信長。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

能力こそ全てだ!

能力が高く、私につくす者は、
どんどん抜擢するぞ!

織田四天王

織田四天王(一般的意味での)の4名のうち、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益の3名がいずれも「身元がよく分からない人物」です。

それゆえの「抜擢人事」ですが、「織田家最強」が確定するまでの織田家勃興期。

信長は、しっかりと古来の家臣である柴田・丹羽・佐久間・林を非常に重視していたのです。

それはまた、組織運営上当然のことでした。

有能な先輩方が多数おり、分厚い家臣団を形成している織田家において、光秀・秀吉は懸命に働きます。

どんどん軍功をあげて、
信長様に認めてもらうのだ!

信長様に最も尽くしているのは、
この秀吉だ!

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