前回は「明治維新の大黒幕・岩倉具視〜討幕の大陰謀の基地となった岩倉邸・偽勅と偽錦旗の偽造・異常なパワーで維新を大推進した公家・ピカイチの政治的度胸・辞官出家と蟄居落魄〜」の話でした。
不思議な超越した政治力を有した男・木戸孝允
明治維新の原動力となった維新の三傑の一人である木戸孝允。
筆者は、この三人に岩倉を加えて「維新の四傑」と考えるのが最も史実に合うと考えます。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
まだ「明治維新の香り」が漂っていた1884年には、山脇之人が「維新元勲十傑論」を著しました。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀
・長州:木戸孝允・大村益次郎・前原一誠・広沢真臣
・肥前:江藤新平
・肥後:横井小楠
・公家:岩倉具視
この「維新元勲十傑論」で目立つのは、長州出身者が非常に多いことです。
そして、土佐藩出身者が全くいないことも大きな特徴です。
これには、作者の山脇之人の「強い意図」を感じます。
現実的には、当時は坂本龍馬や中岡慎太郎は現代ほど著名でなかったという説もあります。
いずれにしても、「維新の〜傑」には絶対外せない男・木戸孝允。
私が長州を
まとめ続けたのだ!
だから、明治維新・
討幕が成立したのだ!
確かに、高杉晋作や久坂玄瑞が不在であっても、長州は討幕出来た可能性はあると考えます。
対して、「木戸孝允不在の長州」だったら、討幕は難しかったのではないでしょうか。
この意味においては、傑出した政治力を有していたことは間違いない木戸孝允。
一方で、この「傑出した政治力」は交渉力・外交力・指導力であり「不思議な政治力」でもありました。
木戸は「不思議な超越した政治力を有した男」と評価できるでしょう。
松下村塾グループを牽引して討幕へ:「村塾出身ではない」桂
キラ星のごとく優れた・卓越した人物が登場した明治維新。
この中でも、最も優等生の表情をしているのが木戸孝允です。
「書生の集まり」と表現されることが多い長州藩。
確かに、幕末維新期の長州藩は藩全体が「燃え盛る火薬庫」のような存在で、猛烈な爆発を続けました。
「長州藩と言えば、吉田松陰の松下村塾」であり、「全員が松下村塾出身」の雰囲気もあります。
私は松下村塾出身では
ないのだが・・・
そして、吉田松陰先生には
大して教わったことはないのだが・・・
木戸孝允と吉田松陰の接点は「大してなかった」説があり、筆者もそう考えます。
1830年生まれの吉田松陰に対して、1833年生まれの木戸孝允。
「3歳年上」では、「余程のことが無ければ、師にはならない」でしょう。
そして、「松下村塾の先輩」ではないのに、「松下村塾グループ」をまとめ上げた木戸孝允。
この頃は桂小五郎という名前で、長州藩では上士出身の家柄でした。
僕は
桂さんについてゆく!
俺も桂さんと
一緒に長州藩のために戦う!
薩摩では精忠組、肥前では義祭同盟など、何らかの「軸がある集団」が多いです。
・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋など
・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など
・肥前・義祭同盟:江藤新平、副島種臣、大木喬任など
彼らは、それらの「同志のパワー」によって集団の力を築き上げてゆきました。
これらのグループの中でも、最も強力な思想集団であった松下村塾。
ここで、「松下村塾生でもないのに、最強グループ松下村塾軍団をまとめた」桂の政治力は抜群です。
そして、
私は、倒幕(討幕)の
初志貫徹したのだ!
政治力は「駆け引き力」や「計画や案をまとめる力」も大事です。
一方で、「人をまとめる力」や「初志貫徹力」が最も大事である政治家。
この意味では、幕末において「桂と比較対象となる政治家は皆無」と言えるでしょう。
維新後に一気に衰えた超越的政治力:「無謀すぎる夢のまた夢」の実現
幕末、火薬庫のように煮えたぎっていた長州藩は「御所に攻め込む」を強行しました。
1864年の禁門の変(蛤御門の変)です。
こうなったら、
御所へ攻め込むのみ!
ちょ、ちょっと待て!
久坂!
それをやってしまったら、
我が長州藩は滅亡するぞ!
桂よ!
これしか、これしかないのだ!
た、頼む!
久坂、それだけはやめてくれ!
冷静な桂は、怒り狂って自己を失っていた久坂玄瑞たちを懸命に説得を続けました。
畏れ多くも御所へ攻め込んだ
長州勢を叩き潰せ!
御所を守っていた会津藩に加わり、「長州軍に壊滅的ダメージを与えた」のが西郷率いる薩摩軍でした。
そして、久坂たち長州勢は御所に攻め込み、敗北しました。
む、無念だ・・・
我が長州藩を頼む・・・
長州藩の青年志士グループ筆頭の久坂玄瑞は、責任をとって自刃して果てました。
も、もはや・・・
とにかく逃げなければ・・・
そして、「死と隣り合わせの逃避行」を続けて、なんとか長州へ戻った桂。
お、おのれ!
西郷めが!
この時以来、「西郷隆盛憎し」は終生変わらなかった桂小五郎。
そして、「朝敵指定」を受けて、徳川幕府のみならず「日本中を敵に回してしまった」長州。
もはや「長州滅亡はほぼ確実」な情勢でした。
この中、
悪魔のような
薩摩と手を結ぶのか・・・
長州にとって「悪魔以上の天敵」であった薩摩との薩長同盟を主導した桂。
この桂の決断力と長州内の反対を抑えた政治力は「卓越していた」と言って良いでしょう。
幕末に、キラリと光彩を放った「超越的政治力」を発揮しました。
そして、薩摩と共に倒幕(討幕)に生命をかけて挑んだ桂。
徳川幕府を潰さねば、
我が長州藩は消える・・・
と悲壮な覚悟で臨んでいた桂。
内心は、
だが、あの超強力な
徳川幕府を本当に倒せるのか・・・
と不安で仕方がなかったでしょう。
それほど、倒幕(討幕)は「無謀すぎる夢のまた夢」でした。
ところが、その「無謀すぎる夢のまた夢」が、実現できてしまいました。
ほ、本当にあの徳川を
倒したのか?
この現実に最も驚いた一人が桂自身だったでしょう。
こうなったら、
名前を変える!
今日から桂小五郎ではなく、
木戸孝允だ!
その後は「長州グループ総帥」として明治維新政府の大幹部となり、岩倉使節団にも加わった木戸。
ところが、この頃から木戸特有の「超越的政治力」は急速な衰えを続けていました。
この「衰え」の最大の理由は、討幕という「無謀すぎる夢のまた夢」を実現するために、
私の全てを
尽くしたのだ!
出会った為の極大疲労だったでしょう。
一度は「消される長州大幹部」の一人だった木戸。
その精神的疲労において、西郷や大久保とは比較の対象にならないほど巨大でした。
最後は病気になって一気に衰えた木戸。
木戸は「西郷立つ」の西南戦争の一報を聞いて、
また西郷か・・・
彼奴には振り回され続けたが・・・
西郷よ・・・
いい加減にせい・・・
こう言って亡くなった、と伝わります。
とにかく、討幕に絶対に欠かせなかった木戸孝允は、幕末維新に巨大な光を放ちました。