第二次世界大戦における日本の「悪の権化」東條英機の実像〜超真面目な典型的日本人・憲兵隊による恐怖政治と「国家の空気」〜|東條英機1・能力・エピソード

前回は「帝国海軍の模範生・伊藤整一の実像〜穏やかで心身ともに優れた青年・軍令の要軍令部次長へ・永野軍令部総長の大いなる期待・大先輩山本五十六長官との直接対決・予感した戦艦大和との運命〜」の話でした。

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東條英機 内閣総理大臣兼陸軍大臣(国立国会図書館)
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第二次世界大戦における日本の「悪の権化」東條英機の実像

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沈没する戦艦アリゾナ(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

第二次世界大戦における日本の「悪の権化」と表現されることが多い東條英機。

東條英機に関して語ることは、第二次世界大戦・大東亜戦争・太平洋戦争の日本を語ることになります。

世界各国からは、敗戦国となった日本(大日本帝国)の誰かの責任論が問われる時、

それは、Prime Ministerであり、
陸軍を率いていたTojoしかない!

Hideki Tojoこそが
Japanの悪の権化であり、悪の根源なのだ!

当時の日本の国家元首は昭和天皇ですが、「天皇の戦争責任がない」とすると、他の人物となります。

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左上から時計回りに、昭和天皇、東條英機 総理大臣兼陸相、山本五十六 連合艦隊司令長官、永野修身 軍令部総長(Wikipedia)

昭和天皇と戦争責任・戦争指揮の実態に関しては、様々な意見や研究があり、難しい問題です。

昭和天皇以外に「戦争の責任を取るべき人物」としては、他にも何人かが候補に上がります。

陸軍では、東條英機のように陸軍大臣・参謀総長を務めた人物以外に、前線の司令官たちがいます。

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真珠湾攻撃で損傷を受けた米国艦船(歴史街道2021年12月号 PHP研究所)

米国・米軍から見たら「絶対に許せない」真珠湾奇襲攻撃を強行したのは山本五十六連合艦隊司令長官。

米国に勝つことは
現実として難しい・・・

だから、乾坤一擲の
大奇襲作戦を実施するしかないのだ!

この意味においては、当時の日本にとって「連合軍=米軍」であった事実から、

Pearl Harborを
攻撃したYamamotoこそが、悪の権化だ!

という声が上がっても良さそうです。

実際に、第二次世界大戦中は、

Japanese Navyの
Yamamotoは、絶対に許せん!

という声が米国では非常に強かったようです。

ところが、戦後になると、「日本の戦争責任者は東條英機」という考え方が支配的になりました。

この最大の理由は、第二次世界大戦開戦時の総理大臣が東條英機であったことが最大の理由です。

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左上から時計回りに、Winston Churchill英首相、J.Stalinソビエト連邦指導者(書記長)、Franklin Roosebelt米大統領、Adolf Hitler独総統(Wikipedia)

当時の日本の総理大臣の権限は極めて弱かったのが実態でした。

同じ「首相」であるチャーチル英首相と東條首相の権限を比較すると、「はるかに劣る」のが現実でした。

この「遥かに劣る」権限の内閣総理大臣と陸軍大臣、さらに参謀総長を歴任した東條。

TojoはPrime Ministerだけでなく、
Minister of Armyも務めた・・・

さらに、Chief of Staff(参謀総長)まで
務めたTojoこそが、全ての悪の根源!

と、非常に分かりやすい「悪の権化」が東條でした。

超真面目な典型的日本人:憲兵隊による恐怖政治と「国家の空気」

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大日本帝国憲法発布(Wikipedia)

1884年に生誕した東條英機。

1890年に大日本帝国憲法が施行され、新しい時代になってゆくことを幼少時に感じていたでしょう。

父親は東條英教中将であり、「陸軍士官となる」ことを運命付けられていた東條少年。

一生懸命勉強して、
お国のために尽くすのだ!

小さい頃から、真面目な性格だった東條は、陸軍士官学校に進みました。

そして、陸軍に入り、陸大を卒業して「陸軍の超エリートの一人」として順調に出世してゆきました。

私は何事も
メモをとって、しっかり考える!

「メモを取ること」を非常に重視していた東條は、何かとメモしました。

東條さんは、
なんでもメモする真面目な方だ・・・

現代から見れば「悪の権化」と言われる東條英機は、超真面目な「典型的日本人」でした。

そして、航空本部長・陸軍次官を務めた東條英機は陸軍の中枢を握り続けました。

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近衛文麿首相と東條英機新首相(Wikiepdia)

そして、近衛内閣では陸軍大臣に就任し、名実ともに「日本陸軍のドン」となりました。

近衛首相のやり方は
手ぬるすぎる!

私は陸軍の代表として、
絶対に譲れないラインがある!

東條陸軍大臣は辞任して、近衛内閣は倒閣してしまいました。

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1941年10月18日成立の東條内閣(Wikipedia)

そして、1941年10月18日に成立したのが東條内閣でした。

真珠湾奇襲攻撃が行われた同年12月8日の「超直前の時期」に総理交代となった日本。

日米交渉が継続していましたが、当時の日本政府・軍部は、

もはや対米戦は
避けられぬな・・・

米国との戦争は極めて
厳しいが、やむを得んか・・・

と考えていたのは間違いないでしょう。

この「超非常時」において、総理大臣交代が起こったこと自体が「超異常事態」でした。

こんな時にJapanの
Prime Ministerが交代?!

まあ、また誰かに変わるかもしれないから、
誰でも良いが・・・

そして、憲兵隊による恐怖政治で日本を支配した「悪の権化」東條首相。

これしか・・・
これしかないのだ・・・

これは「東條が悪い」のではなく、「日本という国家」の空気がもたらしたことだったかもしれません。

我が国が米国に勝つには、
異常なことをしなければ勝てん!

そして、東條首相自身が「対米戦が超厳しい事態」であることを誰よりも強く認識していたでしょう。

内閣総理大臣が近衛であろうと、東條であろうと、或いは別の誰かでも「大して変わらなかった」日本。

東條英機に対する「悪評」は、ある意味でそのまま「当時の日本という国家」への評価であるかもしれません。

大日本帝国という超特殊で、他のいかなる国家とも異なる「超異質な国家」への。

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