前回は「連合艦隊の大栄光と凋落の顔・南雲忠一の実像〜航空のド素人から第一航空艦隊司令長官へ・超優等生だった南雲・真珠湾とミッドウェイからサイパンへの道のり〜」の話でした。
帝国海軍の模範生・伊藤整一の実像:穏やかで心身ともに優れた青年
「名は体を表す」と言われますが、「整一」という名前の伊藤整一は正にピッタリと思われます。
1890年に生まれた伊藤整一は、海軍士官を目指して、海軍兵学校に入りました。
お国のために、
海軍軍人となろう!
ひたむきに勉学を続け、優秀な15位で卒業した伊藤整一は、若い頃から誠実で一生懸命な性格でした。
頑張って、
15位で卒業だ!
海軍兵学校の卒業席次が、海軍実務における序列に直接影響を与えた大日本帝国海軍。
ハンモックナンバーと呼ばれ、海軍軍人としての一生に極めて大きな影響を与えました。
私は兵学校
次席(2位)卒業だ!
私は兵学校
11位卒業だ!
私は兵学校
8位卒業だ!
私は兵学校
次席(2位)卒業だ!
第二次世界大戦(太平洋戦争)前夜の海軍・連合艦隊司令部もまた、成績優秀者が多数いました。
その中、「15位」はそれほど高い席次ではありませんが、
兵学校卒業成績は、
高ければ望ましいが・・・
身体を鍛えることも大事だから、
10位〜20位くらいが最も望ましいかもしれない・・・
という声もあった説があります。(諸説あり)
確かに、勉強が出来ることは大変良いことですが、「適度に優秀」が社会では好ましい一面があります。
この時、「15位卒業」の伊藤整一は、その穏やかな表情もあり、
伊藤は、将来は
大日本帝国海軍の柱になってくれそうだな!
「心身ともに優れた最も好ましい人物」と評価され、期待されていたでしょう。
軍令の要・軍令部次長へ:永野軍令部総長の大いなる期待
真面目で誠実な性格であった伊藤は、ひたむきに海軍のために働き続けました。
そして、大日本帝国は「日米戦争が避けられない」状況に向かってゆく中、
あの米国と
本当に戦争するのか・・・
一時は、駐在武官として米国に滞在した伊藤整一。
米国の「強すぎる国力」は身に染みて理解していました。
当時、世界原油産出量の2/3ほどの「圧倒的量を占める」米国。
対して、ほとんど原油を算出せず、原油が「全くない」日本。
我が海軍は、
原油がなければ、何も出来ない・・・
この頃、米国と伍するほどの大艦隊を有していた日本。
確かに我が大日本帝国海軍の
力は、急成長したが・・・
原油が唸るほどある米国と
戦争して、勝ち目があるのか・・・
山本五十六ほどの「知米派」ではなかったものの、頭脳明晰な伊藤には分かっていました。
「米国に勝つのは、理論上、不可能である」ことを。
もうやるなら、
とことんやるしかないな!
この中、「自称天才」の永野修身軍令部総長は、米国との戦争を決意しました。
戦争は
やってみなければ分からない!
という、「頭脳明晰ながら非論理的思考」であった永野総長。
ワシの補佐役の次長には
伊藤くんが良い!
海軍全体に強い影響力を持っていた永野総長の抜擢により、若くして軍令部次長となった伊藤。
若者にも
どんどん頑張ってもらわねばな!
「日本らしい組織」であった軍令部は、「次長が事実上の最高意思決定者」でした。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
28 | 永野 修身 | 大砲 | 軍令部総長 |
32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
40 | 伊藤 整一 | 大砲 | 軍令部次長 |
40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
まだ、大幹部の中では比較的若手だった伊藤は、
私が、連合艦隊への
作戦命令の責任者か・・・
よしっ!
一生懸命職務を行おう!
1941年8月11日という、対米戦の超直前に次長に就任した伊藤は、奮った気持ちだったでしょう。
大先輩・山本五十六長官との直接対決:予感した戦艦大和との運命
次長就任早々の伊藤整一には「超大役」がありました。
米国と戦争しても、
勝ち目は少ないが・・・
戦争する以上、「勝つ状況を作る」
責務が我らにはある!
そのためには、
短期決戦だ!
そして、それには
真珠湾奇襲攻撃しかないのだ!
当時、史上初となる「空母の大艦隊で遥か遠い米太平洋艦隊拠点・真珠湾を奇襲」する作戦です。
乾坤一擲の
戦いなのだ!
ところが、冷静で頭脳明晰な伊藤次長は、
無茶だ!
これは「投機的」ではなく博打だ!
と考えました。
山本長官!
この奇襲攻撃は軍令部として、絶対呑めません!
伊藤次長は自らが有する決裁権を盾に、「真珠湾奇襲攻撃」を潰そうと必死になりました。
山本長官の真珠湾奇襲攻撃を
叩き潰すことが、私の使命だ!
伊藤は、こう考えて必死に山本長官を説得にかかりました。
長官!軍令部としては、
まずは原油です!
原油がなければ、我が艦隊は
動くことが出来なくなります!
これは正論でしたが、そんなことは山本長官は「百も承知」でした。
伊藤次長、というか伊藤くん!
そんなことは、私は百も承知だ!
どうやって、あの巨大すぎる
米国に勝つのか、が大事なのだ!
「全員が海軍兵学校卒業生」という状況において、「兵学校卒業期」は一生影響を与えます。
兵学校において、「7期上」の山本長官は「7つ上の大先輩」でした。
こういう時、「先輩に逆らう」のはなかなか難しいことですが、冷静な伊藤は、
大先輩の山本長官ですが、
絶対に、この作戦は認めません!
というか、絶対に
認めることが出来ません!
懸命に、山本長官を「正統派作戦=南方資源地帯攻撃主眼」に向かわせようとした伊藤次長。
ならば、私は
連合艦隊司令長官を辞任するしかない!
思い切った「禁じ手」に打って出た山本長官。
この対米戦間近の
時期に、それはないでしょう・・・
と思った、伊藤は困ってしまいました。
ここで、大日本帝国海軍のボスである永野総長は、
山本がそこまで
言うなら・・・
いっちょ、山本に
やらせてみようじゃないか・・・
永野総長の「消極的賛成」で、大博打・真珠湾奇襲攻撃が決定しました。
その結果は、「大戦果であり、そうでもない」微妙な結果でした。
そして、ちょうどこの頃に「連合艦隊の顔」である戦艦大和が完成しました。
超巨大戦艦大和で、
米海軍を叩き潰すしかないか・・・
真珠湾奇襲攻撃直後、実直な伊藤整一は戦艦大和を見て「何か大きな感慨」を感じたでしょう。
そして、その時「戦艦大和との極めて強い絆」を感じたかもしれません。
戦艦大和と共にある「自らの運命」を。