大都市・東京のかつての姿「江戸」〜江戸に拠点をおいた守護代の重臣太田道灌・現代の東京の基礎を生み出した道灌・昔は小さな村であった江戸〜|江戸・東京の大発展1

前回は「日本の中心・重心であり続けた京と大坂〜織田信長が考えていた大坂の未来・秀吉が「信長の構想」を継承して完成した大坂城〜」の話でした。

目次

大都市・東京のかつての姿「江戸」:昔は小さな村であった江戸

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皇居周辺(新歴史紀行)

世界的大都市である東京・Tokyoは、世界有数の規模を誇る超大都市です。

憲法上明記されてなく、法律上は「首都ではない」東京。

一方で、東京が「事実上首都」であることは間違いありません。

New York, London, Paris, Berlinなどの世界中の大都市と匹敵する規模と経済力をもつTokyoという都市。

大都市が最も多い米国は、元は英国の植民地であり、1776年7月4日に正式に独立しました。

そのため、米国の都市は歴史が浅く、現代のNew Yorkは昔は”New Amsterdam”と呼ばれていました。

いずれにしても、欧州などの大都市は昔から「首都的機能を持つ都市は同じ」傾向があります。

LondonやParisは、ずっと同じ位置にあり、名称も昔からずっと同じです。

対して、我が国の首都(事実上)である東京は、昔は江戸と呼ばれていました。

現代では、「〜時代」は元号をもとに名付けます。

対して、徳川幕府の時代は「首都の江戸」 にちなんで「江戸時代」と一括して呼ばれます。

実は、江戸時代の江戸は「世界有数」の都市でした。

むしろ、百万を超える人口を抱え、「世界一の都市」であった説があるくらいの大都市だった江戸。

それでは「昔から江戸が大都市であったか」というとそうではなく、昔は小さな村・街でした。

江戸に拠点をおいた守護代の重臣・太田道灌

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室町期の武将 太田道灌(Wikipedia)

日本の歴史において、江戸が大きくクローズアップされるのは、太田道灌の登場からです。

我が拠点を
江戸に置き、江戸城を築くぞ!

武蔵守護代・扇ヶ谷上杉家の家宰・重臣であった太田道灌。

私が武蔵守護代・扇ヶ谷上杉を
事実上動かしているのだ!

すでに、武蔵の超有力者であり、極めて有能な武将であった太田道灌。

非常に大きな勢力を持ちましたが、時は「家柄が物を言う」時代でした。

1432年に生まれた太田道灌の頃は、室町幕府から戦国時代への過渡期の時代でした。

日本全国に下剋上の嵐が吹き荒れて、戦国大名が多数登場する戦国時代の香りが漂い始めた頃でした。

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戦国大名 北条早雲(Wikipedia)

ワシも1432年生まれ
説があるのだ!

「戦国時代の魁」と表現されることが多い、後北条家の初代・北条早雲。

北条早雲の生まれは、1432年と1456年の二つの説があります。

1519年に没した早雲は、「老齢でもバリバリだった」という説があります。

とは言っても、当時の年齢構成を考えると、早雲は「1456年生まれ」の可能性が高いでしょう。

それでも、太田道灌と北条早雲は「同い年である可能性がある」現実があります。

この観点から考えると、太田道灌は「戦国時代の武将」と表現しても良いかと思います。

実際、太田道灌が関わった「享徳の乱」は、戦国時代の始まりと表現されることが多いです。

戦国武将・太田道灌と考えるとき、太田道灌に対しては様々な解釈ができます。

まず、「武蔵守護代の重臣であった」点で、家格はそれほどではありません。

つまり、

俺は実力で
のし上がってきたのだ!

現代の東京の基礎を生み出した道灌

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戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この点では、尾張守護代の清洲織田家(大和守)の三人の重臣の家柄だった信長の織田家と同様です。

私も守護代の
重臣の家柄出身だ!

そして、実力で
戦国時代を駆け抜けたのだ!

おう!我らは
似た境遇だのう!

守護代を補佐しながら、強力な力を
蓄えてゆくのだ!

扇ヶ谷上杉家を盛り立てていった太田道灌は、当時「関東一の武将」であったでしょう。

そして、太田道灌のパワーで、格上の存在であった山内上杉家を凌ぐ影響力を有した扇ヶ谷上杉家。

我が扇ヶ谷上杉家が
関東の盟主となるのだ!

「格下」であった扇ヶ谷上杉が、関東管領である「格上」の山内上杉を圧倒する事態になり、

おいっ!
これは一体どうなっているのだ!

これでは、扇ヶ谷上杉の連中に
関東が蹂躙されてしまう!

「格下」が「格上」を凌ぐ勢いとなることは、戦国時代の下剋上を彷彿とさせます。

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京・山城中心の日本列島(新歴史紀行)

京・山城が中心だった当時、関東は「端の方の国々」でした。

「下剋上」は、「主人を倒す・殺害する」印象が強いので、「上品な下剋上」とも呼べるでしょう。

私が、戦国時代の
「下剋上の先陣」を切ったのだ!

戦国武将の魁であり、超越的武将であったのが太田道灌でした。

この点で、太田道灌は、信長・信玄・謙信がバリバリの頃にいたら、有力な戦国大名となったでしょう。

名前生年
太田道灌1432年
北条早雲1432年、1456年(両説あり)
毛利元就1497年
北条氏康1515年
今川義元1519年
武田信玄1521年
長尾景虎(上杉謙信)1530年
織田信長1534年
戦国武将大名の生年(新歴史紀行)

1550年前後に太田道灌が、関東に限らずどこかにいたら、三カ国程度の戦国大名にはなったでしょう。

この点、太田道灌が「江戸を拠点とした」のは大いなる慧眼があったのでしょう。

後の時代に、徳川家によって大改造がされる江戸。

それでも、「道灌の江戸」なくして、「徳川の江戸」はなかったでしょう。

当時は、大都市でもなんでもんなく「小さな漁村」程度だったと思われる江戸。

私が現代の東京の
基礎を作ったのだ!

いわば「太田道灌によって、東京の基礎が作られた」と言っても過言でないでしょう。

次回は上記リンクです。

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