前回は「陸戦の大家・大田実司令官の渾身の指揮と沖縄戦〜「内地の最初の砦」沖縄:戦艦大和の沖縄突入と撃沈〜」の話でした。
「想定外」だった帝国陸海軍の異常な抵抗:神風特別攻撃隊と玉砕

1945年3月26日から開始した「内地の最終決戦」であった沖縄戦。
この頃、既に日独ともに「敗北が確定」している中、「ドイツはまもなく降伏」の状況でした。

この頃は、すでに「サイパン陥落の責任」を取って東條内閣は退陣していました。
他の独米英は最高指導者は不変でしたが、ルーズベルト米大統領は1945年4月12日に病死しました。
日本にとっては「日独vs米英ソ」でしたが、諸外国では「独日vs米英ソ」の感覚でした。
つまり、「枢軸国はドイツがボス」であり、「日本はドイツと一緒」と言う認識でした。

とにかく、Hitlerを
潰して、Axisを倒すのだ!
米国は、当初から「ドイツ重視」で大西洋戦線を中心に戦っていましたが、



国力が遥かに劣る
Japanが思いの外、頑強だな・・・
帝国海陸軍が「米国の想定以上に頑強」であり、さらには、



Suicide Attackだと・・・
Kamikazeか・・・
神風特別攻撃隊の出撃と玉砕により、太平洋戦線における米軍の死傷者数が激増しました。


この中、沖縄では、塹壕を掘り続けて、米軍に徹底抗戦していました。



最後の最後まで
米軍と戦うのだ!



なぜ、Japaneseは「絶対に敗北する」
のが分かっているのに、戦うのだ?
食料も武器弾薬が欠乏する中、食料も武器弾薬も豊富すぎる米軍に対して、



我らが沖縄で
米軍を食い止めるのだ!
「沖縄から先に米軍を行かせない」ために、帝国陸海軍将兵は死闘を続けました。


この狭い塹壕の中で、ひしめき合いながら、「最後の戦い」を米軍に挑んだのでした。
「必死」の戦い続けた大田実:ツルハシで掘り抜いた海軍司令部壕





ガガ〜ン!
ガガ〜ン!



米軍の戦艦からの
砲撃が凄まじいな・・・
猛烈な砲撃を沖縄に加え続けた米軍に対して、この海軍司令部壕で籠っていた将兵は、



よしっ、
これから米軍を攻撃にゆくぞ!



この手榴弾で、
米軍を一人でも地獄の道連れにしてやる!
頃合いを見て、「決死」と言うよりも「必死」の覚悟で米軍に挑んでゆきました。
現代でも「必死」と言う言葉があり、



この仕事を必死で
頑張ろう!
「必死で頑張る」などの表現がありますが、本当に「必死=必ず死ぬ」の状況の中、奮戦した将兵たち。


物資に事欠く中、この海軍司令部壕は、帝国海軍将兵が主にツルハシで掘り続けました。
日米戦の初期から、米国では土木工事には「土木工事のプロ」が投入され、



よしっ、ここに
飛行場を建設する!



ブルドーザーなどの
重機を大量投入だ!
当時、すでにブルドーザーを持っていた米軍は、重機で工事をガンガン進めました。
対して、帝国陸海軍では、ブルドーザーは「存在しない超越的機械」でした。



この機械はブルドーザーと
言うらしいが・・・



これは、凄まじく作業が
はかどる、すごい機械だ・・・
「ブルドーザーを初めて見た」将兵も多く、時々ブルドーザーを捕獲して使用したものの、



我が国でも、
このような重機が作れたら良いのだが・・・
鉄などの原料にも事欠いた大日本帝国では、ブルドーザーは最後まで登場せず「ツルハシ主体」でした。





ガガ〜ン!
ガガ〜ン!



しっかり掘って補強しているから、
この濠は崩されんぞ!





みんな、最後の最後まで
一緒に戦おう!



私も、この地で
皆と一緒に最後まで戦う!
そして、「敗北は100%確定」しており、「降伏しない限り、ほぼ100%戦死」の状況の中、



この沖縄で、
なんとか米軍を食い止めるのだ!
すでに、サイパンなどが陥落して、東京などがB29の射程圏内に入っていました。
そして、沖縄が陥落するときは、「大日本帝国の本格的瓦解」の始まりを意味しました。



なんとか、なんとか・・・
ここ沖縄で・・・





大田司令官、
我ら皆で戦い抜きましょう!
「降伏する」と言う概念がなかった稀有な軍隊であった、大日本帝国陸海軍。
「生きて虜囚となるなかれ」の戦陣訓を守り抜く精神のみで、戦い続けました。


そして、沖縄戦が開始して1ヶ月が経過し、



これだけ大量の砲撃をしても、
Japanは、まだ抵抗を続けている・・・



長期戦は
覚悟していたが・・・



周囲を戦艦や空母に囲まれて、
どうやって戦っているんだ・・・
1945年5月になっても、大田司令官率いる帝国海軍と牛島司令官率いる帝国陸軍は戦い続けました。



敗北することは
分かっている・・・



だが、出来るだけ
我らで米軍を食い止めるのだ!



この
沖縄で!
「絶望を超えた戦い」の中、大田司令官は必死に軍をまとめて戦っていました。
「陸戦の大家」であった大田司令官は人望が厚く、絶望の中、将兵を鼓舞して戦い続けていました。