「日本の中心の圏外」だった江戸・東京〜京中心であった日本の国家像・江戸から東京へ・大久保利通と木戸孝允推進の「裏技=天皇動座」と奠都〜|江戸・東京の大発展2

前回は「大都市・東京のかつての姿「江戸」〜江戸に拠点をおいた守護代の重臣太田道灌・現代の東京の基礎を生み出した道灌・昔は小さな村であった江戸〜」の話でした。

目次

「日本の中心の圏外」だった江戸・東京:京中心であった日本の国家像

New Historical Voyage
室町期の武将 太田道灌(Wikipedia)

現在の日本の首都である東京は、かつては江戸と呼ばれていました。

そして、江戸が表舞台に登場したのは、室町期から戦国期に関東で猛威を振るった太田道灌以降です。

実は、表舞台に登場して以降の江戸・東京は、戦国期までは「日本の中心の圏外」でした。

現代の日本の国家構造は、東京都と「大阪府+京都府」の二極構造と言えます。

一方で、かねてから、

東京周辺の
一極集中ではないか・・・

と指摘されることが多いように、「東京都周辺に一極集中」が実態とも言えます。

新歴史紀行
京・山城中心の日本列島(新歴史紀行)

そして、江戸時代までは「日本の首都は京」であり、徳川将軍がいる江戸とは別格でした。

とにかく「日本の中心は京」という発想が、江戸時代まではあったと考えられます。

そもそも「東京」=「東の京」という名称から、日本では基本的に「京中心の国家像」です。

歴史的・現代の中国の首都や大都市には、北京と南京がありますが、どの発想と同じと言えるでしょう。

江戸から東京へ:大久保利通と木戸孝允の「裏技=天皇動座」と奠都

新歴史紀行
左上から時計回りに、明治維新の元勲:木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

日本の中心が現在の京都から東京へと「明確に移動」したのは、明治維新でした。

新たな世を作るために、
大坂へ遷都だ!

実は明治新政府の中心人物の一人であった、大久保利通は最初は「大坂遷都」を目論んだと言われます。

ところが、周囲からは、

なぜ、大坂なんだ?
あそこは商人の町だろう!

大坂で新たな政府の
機能を作るのは難しいのでは?

という声が上がり、猛反対を受けました。

・・・・・

さすがに遷都は
難しいか・・・

新たな政府を作るのは、
やはり、元々政府の機能があった江戸が良いのでは!

郵便事業を開設した前島密たちの提言を受けた大久保。

確かに、それは
合理的発想だが・・・

徳川時代と同じ「江戸が中心」では、
新たな時代の幕開けの印象が薄い・・・

「徳川憎し」でひたすら「討幕路線」を突き進んできた大久保と西郷。

討幕を成し遂げた後は、薩摩に帰ってしまい「薩摩中心」となった西郷は、

まあ、首都は京でも江戸でも
どちらでも良か・・・

という感じだったでしょう。

対して、とにかく「新たな世を名実ともに作り出す」ことに執念を燃やしていた大久保や木戸。

そもそも、慶喜の命は助けたが、
徳川時代の名残はなくしたいな・・・

うむ、「徳川時代は終わった」ことを
民衆たちにも明確に理解してもらいたい・・・

なんといっても、270年近くもの間続いた、
我が国最長の国家機関だったからな・・

この頃、政治力を猛烈に発揮した大久保と木戸は、

なんとか、徳川時代に
完全にピリオドを!

と、「徳川時代の完全終了」を考えます。

まあ、仕方ないから
江戸が良いか・・・

江戸に「正式に遷都」する
方向にするのが良いか・・・

まあ、江戸で新たな政府を
作って、早々に発足させねば!

ただ、徳川時代と
同じ「江戸」では時代が変わった感じがしない・・・

ならば、江戸から
「東の京=東京」と名称を改めてしまおう!

「東の京」ならば、
遷都はうまくゆきそうだな・・・

欧州の都市では、「都市の名称が変わる」ことは比較的少ないです。

ここで、明治維新の1868年頃に「江戸は東京に一気に名称が変わった」ものの、遷都に関しては、

「江戸から東京」は
分かった・・・

なぜ、その東京に
遷都する必要があるのだ?

新たな世を
作るためだ!

日本は古来から
ずっと京が首都なのだ!

これまでの徳川時代同様、
首都は京のままで良いではないか!

我が国の
国家像を勝手に壊すな!

・・・・・

まあ、あまり急進的なことは
しない方が良いかもな・・・

そもそも、明治維新と現代読んでいる革命は、それほど盤石な体制ではありませんでした。

なんといっても、「徳川の時代から変わった」だけだったのでした。

剛腕で鳴る大久保利通や木戸孝允たちも、「遷都」を諦めざるを得ませんでした。

とりあえず、天子様(天皇陛下)には
東京へ動座頂こう・・・

おいっ!
なぜ、天子様を京から離すのだ?

天子様は
京のままで良いだろう!

まあ、とりあえず、新たな世だから
天子様には一時的に東京へ!

遷都を諦めた大久保と木戸は「天皇動座」によって、「事実上遷都」という裏技で乗り切りました。

この「事実上遷都」は「奠都」と呼ばれ、現在の日本において、「首都・東京」は明文化されていません。

海外などでは、「我が国の首都は〜とする」と憲法等で明記されていることが多いです。

日本らしい「曖昧さ」の中で、現代の「首都・東京」は、江戸から発展してきました。

次回は上記リンクです。

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