一気に落魄した滝川一益〜清洲会議での羽柴vs柴田・「関東の新たな王」vs「関東のかつての王」・「地獄を見た」悪夢の上野と信濃の撤退戦〜|滝川一益20・人物像・軍事能力・エピソード

前回は「沈みゆく織田家の「大いなる輝き」放った滝川一益〜「アウェーすぎる土地」で「地元の覇王」との戦い・織田家「年長者」の超実力者〜」の話でした。

滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

「地獄を見た」悪夢の上野と信濃の撤退戦

神流川周辺(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

北条家に大惨敗した一益。

滝川軍18,000に対して、北条軍は50,000もの大軍勢であり、極めて劣勢であった滝川軍。

もともと「敗北必至」でしたが、果敢に北条軍に向かってゆきました。

「金ヶ崎」では一目散に撤退した主人の織田信長。

信長が滝川一益と「同じ立場」であったなら、「少人数で遁走した」かもしれません。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

余は
満足だぞ!

さすがは、
織田四天王だ!

「亡き織田信長の名誉」にもなったものの、人生初めての大惨敗に、大きなショックを受けます。

人には

地獄を
見た・・・・・

と言っていたほどの、苛烈な惨敗と苦難の大きな撤退でした。

「関東の新たな王」vs「関東のかつての王」:悪夢の上野と信濃の撤退戦

戦国大名 北条氏政(Wikipedia)

これで、我が北条は
関東の王よ!

この北条に楯突いたのが、
運の尽きだ!

織田家重臣 滝川一益(Wikipedia)

「勇猛」を絵に描いたような猛将であった滝川一益。

名前生年(一部諸説あり)
柴田勝家1522年
滝川一益1525年
明智光秀1528年
織田信長1534年
丹羽長秀1535年
羽柴秀吉1537年
織田信長と織田家方面司令官の生年

若き頃から、織田家の中核であり続け、威風堂々としていました。

1525年生まれの滝川一益は、1560年の桶狭間の戦いの時は36歳(数え年)です。

あまり記録には残っていないですが、青年武将であった信長に従い、

今川義元の
首を狙え!

おそらくは、今川軍目掛けて懸命に戦ったのでしょう。

滝川一益の退却ルート(歴史群像シリーズ51 戦国合戦大全 下巻 学研)

その威風堂々としていた滝川は、「関東の新たな王」=関東管領格として関東に入国しました。

ところが、「関東のかつての王」であった北条家に合戦で大惨敗を喫しました。

一気に落魄した滝川一益:清洲会議での羽柴vs柴田

織田家重臣 滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

あまりのショックに、一気に落魄します。

勇猛果敢なイメージの最上段の肖像画に比べ、この肖像画は覇気を失ったイメージです。

いつ描かれたかは不明ですが、この頃以降に描かれたのでしょう。

この直後に秀吉陣営と勝家陣営の間で、清洲会議が開催されます。

テーマは「今後の織田家をどうするか?」でした。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

上様
亡き後・・・

天下の織田家を、
どのように運営してゆくかのう・・・

柴田 勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ワシは筆頭家老で、
織田家随一の実力者!

ワシが
全部決めよう!

ここで、秀吉は反論します。

あいや!
柴田殿!

信長公の敵、
光秀を討ったのは私!

な、
なんだと?

猿の・・・
猿の分際で・・・

私も、
織田家家老なのですが・・・

落ちぶれたとはいえ、織田四天王の一人だった滝川一益は、往年の覇気を失っていました。

「清洲会議に出席できなかった」説が有力な滝川一益。

既に往年の覇気を完全に失っており、非常に存在感が薄い状況にありました。

新歴史紀行

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