疾風の男・高杉晋作が見据えた軍の未来〜下関戦争での大敗北・徳川幕府に「攘夷の圧力」を掛け続けた孝明天皇・徳川幕府の「攘夷決行」の建前を本気で実行した長州〜|高杉晋作8・能力・人物像・エピソード

前回は「疾風の男・高杉晋作の統率力〜凄まじい若き長州藩士たちの勢い・戦略的思考の薩摩・常に「先を読む」西郷隆盛と大久保利通・高杉から多くを学んだ明治新政府の大物たち〜」の話でした。

高杉晋作(国立国会図書館)
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徳川幕府に「攘夷の圧力」を掛け続けた孝明天皇

新歴史紀行
London(新歴史紀行)

「英国公使館焼き討ち」を断行した、若き長州藩士の高杉晋作・久坂玄瑞たち。

よしっ!
やったぞ!

もう怖いものは、何もありません。

長州藩士 久坂玄瑞(義助)(国立国会図書館)

これで、
夷狄どもは黙るだろう!

こういう物騒な空気の中、一つの藩だけで以前から「尊皇攘夷」と沸騰し続けた長州藩。

新歴史紀行
孝明天皇(Wikipedia)

とにかく、夷狄などを
我が神国日本に入れるな!

外国人が大嫌いだった孝明天皇。

「大嫌い」というよりも「心底毛嫌いして、憎んでいた」とも言えるほど攘夷派でした。

徳川幕府は
いつになったら攘夷を決行するのだ?

孝明天皇は「先送り」し続けて、攘夷を決行しようとしない幕府に睨みを効かせ続けました。

新歴史紀行
第十四代将軍 徳川家茂(Wikipedia)

はっ!
そろそろ攘夷を決行いたします!

幕末の1863年は、徳川幕府の威光が衰えていました。

一昔前ならば、

天皇が何を言おうが
無視!

で済んでいましたが、天皇の言うことは「聞かざるを得ない」状況でした。

文久三年(1863年)
5月10日に攘夷決行致します・・・

久坂玄瑞らが朝廷工作を行い、時の関白が正式に攘夷の期限を定めました。

よし!
いよいよ攘夷だな!

徳川幕府の「攘夷決行」の建前を本気で実行した長州

英国公使 Sir Rutherford Alcock(Wikipedia)

勢いこんだ長州藩は、1863年ついに本気で攘夷を決行しました。

徳川将軍は、孝明天皇・朝廷に対して、

文久三年(1863年)
5月10日以降は、攘夷決行です・・・

と「渋々承諾」しただけであり、特に諸藩に対して、

攘夷決行で、
夷狄に戦争吹っかけろ!

と命令したわけではありませんでした。

幕威が急速に衰えたとはいえ、日本政府であった徳川幕府が、

もはや
攘夷決行だ!

と言ったら、本来は「幕藩体制下の諸藩は従う」のですが、幕府としては、

攘夷決行と言っても、
何もしなければ良いだけ・・・

と朝廷に対する「建前」で済ませようとしていました。

ところが、ここで「建前」ではなく「本気」で攘夷を決行した長州藩。

よし!
あそこの夷狄の船を撃沈しろ!

ははっ!
見事砲撃してみせます!

関門海峡を通過中の米国、フランス、オランダの商船に突然砲撃を加えたのです。

な、なんだと!?
軍船ではなく商船を攻撃した、だと?!

危険だとは
思っていたが・・・

本気でやるとは、
思わなかった・・・

おのれ・・・
舐めおって・・・

そして、激怒した米仏が英国とオランダと組みます。

USもFranceも
Netherlandも一緒にやりましょう!

そして、長州は列強の艦隊から報復攻撃を受けました。

長州を
叩いてやれ!

疾風の男・高杉晋作が見据えた軍の未来:下関戦争での大敗北

下関戦争:米国ワイオミング号の馬関砲台への攻撃(Wilipedia)

全く勝ち目のない戦いであり、軍備で隔絶たる差がありました。

イケイケドンドンで、米英仏蘭四カ国艦隊と戦争を開始した長州藩。

長州の軍艦は全て沈没・大破、砲台も全滅、長州兵は蹴散らされます。

夷狄の大砲は、
我らの大砲より格段に性能が良い!

これでは、夷狄とは
もはや合戦にならない・・・

薩摩藩士 西郷隆盛(国立国会図書館)

1863年6月の下関戦争は、「長州藩の完敗」で終わりました。

この2ヶ月後の1863年8月には、薩摩が大英帝国と薩英戦争を戦いました。

新歴史紀行
薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

薩摩は大英帝国に対して
痛撃を与えたぞ!

最新兵器に敗れるも、白兵戦などで一矢報いた薩英戦争における薩摩藩とは全く異なった長州。

薩摩は大英帝国に反撃して、
かなりの被害を与えた!

死者は、我が薩摩よりも
大英帝国の方が上だ!

この時、長州藩の軍隊は、それほど強くなかったのです。

下関戦争(Wikipedia)

こ、
これは・・・・・

意気揚々としていた若き高杉晋作も、さすがに大ショックを受けました。

攘夷などと、
言ってられない・・・

強い軍隊を
作らねば!

高杉晋作は考え続け、やがて一つの結論に到達します。

その結論は、この当時「誰も考えなかった」ことであり、「軍の未来」でもありました。

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