前回は「近世に引導を渡した男・勝海舟〜幕末最強の大言壮語の男・新生日本の立役者の一人・坂本龍馬と勝海舟・咸臨丸で米国へ〜」の話でした。
名門旗本の家柄:超徳川ファースト
2,500石の名門家柄の小栗家に誕生した忠順。
「2,500石」というと、1万石以上の大名たちと比較すれば「小身」とも言えます。
確かに、「加賀百万石」や「薩摩77万石」と比較すると、1万石すら届かない小栗家。
一方で、これら諸大名の禄高は、いわば「藩=会社としての売上」というイメージです。
それに対して、「2,500石の知行(年収)」があった小栗家。
旗本の中でも大身であり、名門でもある小栗家は、駿河台に大きな屋敷を構えていました。
徳川家の
ために・・・
幕末に登場する「明治維新の立役者」である西郷・大久保・木戸・岩倉たち。
西郷・大久保にとっては「薩摩ファースト」であり、木戸にとっては「長州ファースト」です。
この中で、岩倉は「自分ファースト」ともいうべき存在でしょうか。
それぞれが、自分の出身を「ファースト」としていましたが、中でも小栗は
拙者は
「超徳川ファースト」・・・
だったのでした。
新生日本をつくった男・小栗忠順:井伊直弼と共に徳川支える
小栗忠順よ・・・
共に徳川を盛り立てようぞ!
ははっ!
小栗にも引けを取らない「超徳川ファースト」の大老 井伊直弼。
譜代大名の中でも超名門の出である井伊直弼にとって、旗本の名門の小栗家は、
ワシと
似た存在だ!
能力も高いと
見えるし・・・
ぜひ、幕府で活躍
してもらいたい!
小栗忠順の存在は、超貴重だったのです。
幕末維新を駆け抜けた志士や幕府側の人物たちの年齢を比較してみましょう。
上の表には小栗はいませんが、文政10年(1827年)に誕生した小栗忠順。
なんと、西郷隆盛と同い年です。
「圧倒的な兄貴分」である勝海舟につぎ、西郷と並ぶ「兄貴分」であった小栗。
幕末の風雲時に、薩摩や長州が跳梁跋扈しました。
中でも、「火薬庫が爆発し続けている」ような長州の志士たちの連中。
この
小僧たちめが!
12歳ほど年下の高杉晋作たちは、小栗にとっては「小僧」でしかありません。
しかし、その小僧たちが暴れ回り、やがては徳川の屋台骨が揺らぎ始めました。
横須賀に見た日本の将来:尊敬の念を明らかにした東郷平八郎長官
非常に秀才で、開明的であった小栗。
幕末に小栗に匹敵する胆力を持つ人物は複数いますが、「頭脳」で小栗に匹敵する人物は少ないでしょう。
幕府代表の一人として、当時米国に渡り、米国政府首脳とも数々の折衝を重ねた小栗。
Oguriは
大した人物だ・・・
他のJapaneseとは
全然違うな・・・
当時、アジア人に対して非常に侮辱的視点を持っており、「はるかに格下」と考えていた欧米。
その欧米人にとっても、小栗の能力は卓抜していたのでした。
幕末に、薩長などの諸藩が反徳川の旗を鮮明にします。
徳川が
危ない・・・
フランスの
力を借りて、造船所を建設しよう!
当時、幕府の要職を立て続けにこなし、財務大臣である勘定奉行であった小栗。
フランスから多額の借金をして、江戸近くに「海軍の軍艦造船所」を建設しました。
その場所は、当時「ド田舎」だった横須賀。
のちに、日本海海戦でロシアに快勝した東郷平八郎・連合艦隊司令長官。
我が連合艦隊が
バルチック海軍を下したのは・・・
一重に、小栗殿の
おかげです・・・
日本にとって「国家存亡の危機」であった日露戦争において、陸と海で死闘を繰り広げた陸海軍。
東郷平八郎率いる連合艦隊が、バルチック艦隊を撃滅したことが日本勝利に結びつきました。
小栗殿が横須賀に造船所を
作らなかったら・・・
我が大日本帝国は、
ロシア帝国に敗北していたかもしれません・・・
巨大国家ロシアに勝ったから良かったものの、もし敗北していたら、国家滅亡の危機に陥るところだった日本。
当時、すでに小栗はこの世から消され、「犯罪者の一族」扱いで肩身が狭かった小栗家。
小栗忠順殿のおかげで、
我が連合艦隊は勝てました!
その小栗家に対して、東郷長官は深く恩義に感じていることを公にしました。
幕末、最も「世界と日本」の具体的イメージを持っていた人物であった小栗。
「新生日本をつくった男」であったのでした。