前回は「越後制圧に苦労し続けた長尾景虎〜軍事力に権威を付加することを目論んだ景虎・三好松永と和した深謀遠慮〜」の話でした。
異常に軍事能力が高い景虎:「戦の神の化身は最強」のロジック
多数の大名・人物がキラ星の如く登場した、日本の戦国時代。
日本の歴史で最も人気が高い戦国時代は、個性的で異常なほど能力が優れた人物が多数出ました。
軍事力・戦闘力、あるいは戦略・戦術など「軍事能力が極めて高い」人物も多数います。
武将名 | 戦闘力 |
上杉謙信 | 100 |
武田信玄 | 96 |
竹中半兵衛(重治) | 94 |
真田昌幸 | 90 |
織田信長 | 88 |
徳川家康 | 88 |
黒田官兵衛 | 86 |
北条氏康 | 85 |
羽柴秀吉 | 74 |
軍神というと、必ず筆頭に上がるのが上杉謙信です。
さらに、謙信は「突出して高い」傾向が強いです。
信長の野望・天下統一などの戦国シミュレーションゲームにおいて、「軍事力筆頭」は常に謙信です。
この「軍事力筆頭」は、多分に「謙信に対するイメージ」が強いと思われます。
我は毘沙門天の
化身なり!
生涯、不犯を貫き、「女性に近づかなかった」と言われる異常な存在である謙信。
もちろん、結婚はしていないため、実の子は生まれなかった謙信。
当時の戦国大名で「不犯、結婚しない」のは異例中の異例でした。
我が全エネルギーを
合戦に向けるのだ!
合戦前には、一人閉じこもって、「毘沙門天と対峙して軍略を練った」と言われる謙信。
毘沙門天様・・・
次の戦いはどのようにすべきでしょうか・・・
むう・・・
我がこう出たら、敵はこう出てくるな・・・
むむ・・・
毘沙門天の啓示を受けたぞ!
この「毘沙門天との唯一人の対峙」もまた、謙信を神がかりにするための儀式でもありました。
越後守護代という比較的上の家柄ながら、越後統一に極めて大きな困難を持った謙信。
我は「毘沙門天の化身」
つまり「戦の神様の化身」なのだ!
戦に関して、我を
超える武将はいない!
戦の神同然である我は、
戦国最強なのだ!
こうして「戦国最強の軍神=上杉謙信」のイメージが生まれていきました。
関東に本拠地を移すべきだった上杉謙信:関東管領の超威光
同じ守護代である、越前守護代の朝倉家は比較的易々と越前統一を成し遂げ、
我が越前は
完全に朝倉のもの!
ただ、隣国の加賀を
根城にした一向宗がうるさい・・・
一向宗と死闘を繰り広げたものの、越前は完全に支配下に置いていたのが朝倉でした。
ところが、越後北方の国衆・揚北衆は、謙信が越後統一を成し遂げた後も、
俺たちは俺たち!
長尾家なんか関係ないぜ!
越後国衆の多くは、守護代・長尾家に反旗を翻し続けました。
まずは、越後を
しっかり固めなければ・・・
この中、北条家によって「関東から叩き出された」上杉憲政がやってきました。
関東管領の上杉を
関東から追い出すのだ!
これからは、関東の王は
関東管領上杉家ではなく、我が北条!
この頃、並みいる戦国大名の中でも、毛利家・大友家と共に大領土を有した北条家。
北条家初代の伊勢新九郎(北条早雲)は「政所執事の伊勢家の関係者」とも言われますが、諸説あります。
関東の守護たちを束ねる関東公方を補佐する関東管領。
時代によって権限は異なるとしても、「おおむね関東十カ国の守護を指揮」するのが関東管領でした。
ところが、その絶大な権限を持つ関東管領が北条家に敗北を続けた結果、越後に来たのでした。
長尾殿・・・
長尾殿は越後守護代の由緒ある家柄・・・
関東管領であり関東最高の家柄の一つ・上杉家の当主・憲政は、当然家柄を気にしました。
下剋上と表現される戦国時代は、多数の「家柄が低い」人物がのし上がりました。
守護・守護代・国衆(地侍)出身 | 大名 |
守護 | 武田家・大友家・島津家・今川家 |
守護代 | 長尾家(上杉家)・朝倉家 |
国衆(地侍) | 三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家) |
このうち、正統派とも言える守護大名から戦国大名となったのが、武田・大友・島津・今川などです。
家柄を気にする憲政は、頼るならば、本来はこれらの「正統派大名」がよかったでしょう。
近くの武田は
守護だから良さそうだが・・・
武田晴信は、
よく分からない・・・
景虎は
若々しいし、良さそうだ・・・
長尾は守護代で、
将軍家とも繋がりがあるから、良いだろう・・・
こんな思いを抱いていたのでしょう。
そして、
景虎殿に我が上杉家を
継いでいただきたい・・・
分かりました!
今日から上杉政虎と名乗ります!
こうして、若きバリバリの関東管領・上杉政虎が誕生しました。
これで、今や上杉政虎となった
景虎は、上野を取り戻してくれるだろう・・・
関東管領の強力な権威を持った政虎は、
ゆけ!ゆけ!
関東を我が手に!
な、
なに?!
北条家を突き崩し、関東の大部分を支配下に納めた政虎。
ところが、
では、越後に
帰ります・・・
えっ!
越後は関東外ですぞ!
関東管領なのですから、
関東周辺に居て頂きたいのですが・・・
いえ・・・
越後は我が国ですから・・・
ここで、後に謙信となる政虎が、関東に本拠地を移動していたら。
その時、「関東は北条ではなく、上杉のもの」になっていたかも知れません。
超強力であった関東管領の超威光と関東の大領土を持ってすれば、越後の国衆も従ったでしょう。
政虎の「越後が本拠地」という信念は、戦国の様相に大きな影響を与えました。