前回は「「軍は敵の案に入らぬように覚悟すべし!」鍋島直茂〜あまりにも急膨張した龍造寺家・龍造寺隆信の義弟直茂・一気に凋落した龍造寺と直茂の奮闘・幕末の一角佐賀藩へ〜」の話でした。
「死なんと戦えば生きる!」上杉謙信

「戦国最強の男」や「軍神」と呼ばれる上杉謙信。

死なんと戦えば
生き・・・



生きんと戦えば、
必ず死するものなり!
上杉謙信は、このような言葉を言ったと伝えられています。
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば、必ず死するものなり!
生涯結婚しないどころか、生涯不犯を貫いたと言われる上杉謙信。
「全ての生命エネルギーを合戦・戦闘に注ぎ込んだ」とも表現できるのが謙信です。


戦国時代において、「合戦の達人」や「軍神」を選ぶとなると、必ず筆頭に上がるのが謙信です。
武田信玄、織田信長、徳川家康も「合戦上手」とされますが、「戦の神」といえば謙信です。



謙信とは、何度も
川中島で戦った・・・



戦ならば、
余も自信があるが・・・



手取川では、我が軍は、
謙信に散々痛めつけられ、大敗した・・・
天才児・革命児とも言われる織田信長ですが、信長の真骨頂は軍事でした。
この意味では、「織田信長こそが軍神」であると筆者は考えています。



我は毘沙門天の
化身なり!
一方で、自ら「毘沙門天の化身」を名乗り、生涯不犯で通した「少し病的な雰囲気」を醸し出していた謙信。
これらと、異常なまでの合戦の強さを掛け合わせると、文字通り「地上の毘沙門天」となったのが謙信でした。



死ぬ気で戦えば、
必ず勝つのだ!
信長や信玄も様々なことを言っていますが、「死ぬ気で戦う」強き意思が謙信の真骨頂でした。
「正義の男」謙信の見つめた未来:関東と北陸で「合戦の人生」





我が家は
越後守護代の長尾家なり!
元々は長尾家の出身であり、次男であった長尾景虎が、謙信の前身でした。
「長尾」から「上杉」に変わったきっかけは、関東管領という顕職にあった上杉憲政でした。



北条家の力が
強すぎる・・・



もはや、我が上杉家の軍事力では、
北条には敵し得ない・・・
南から北条家の強烈な圧迫を受けた「関東No.2」の関東管領であった上杉憲政。



関東管領の
上杉憲政です・・・



我が上杉家を
助けてください・・・



分かりました!
私が北条を打ち懲らしめましょう!



北条を追っ払ってくれたら、
あなたにぜひ、関東管領・上杉家を継いで欲しい・・・
もはや、関東管領として「関東の支配」を諦めていた上杉憲政は、「関東管領上杉家を譲る」ことを提案しました。



御任せ下さい!
私が上杉となって、北条を叩き潰します!





我こそは、
関東管領・上杉政虎なり!
そして、関東地方に「特大暴風雨」のように攻め込んだ謙信は、一気に版図を広げました。
北条家を逼塞させ、瞬間的には、250万石近い大領土を支配下に収めた謙信。



領土には
大きな興味はないが・・・



「救ってほしい」という
上杉殿のためだ・・・



私は、義のために
戦い続けるのだ!
「領土欲が少なかった」と言われる謙信。
常に戦場にあった「常在戦場」のような人生を送った上杉謙信。



私は、欲のために
戦うのではない・・・



そして、生きようと思って
戦わず、常に死を意識してきた・・・



「死んでも良い」と死力を尽くすことこそが、
戦で勝つ要諦なのだ!
そして、関東から北陸で「合戦の人生」を貫き、「合戦に人生の目的を見出した」謙信。



地上の毘沙門天として、
合戦こそが、我が人生!



そして、合戦では
とにかく攻撃し、勝つのだ!
自ら「性欲を封印」し、その果てに「人間の欲を封印」したかのような生き様でした。