前回は「江戸の地と無関係だった徳川家〜「目下」の羽柴秀吉と勝負・地名が変わった数少ない世界的大都市東京・江戸から東京へ〜」の話でした。
徳川家康の大先輩・源頼朝の発想:三河の国人だった徳川家

後に徳川幕府を開き、250年以上「概ね平和な時代」であった江戸時代。
その徳川幕府を開き、初代将軍に就任したのが徳川家康でした。

この私が、
徳川幕府を開設したのだ!



我が徳川は、元は松平氏であり、
三河に勢力を張っていたのだ!


確かに徳川家の前身・松平家は、三河の一部のエリアに勢力を張った国人でした。
一方で、松平家は「一つの国を支配するレベルの大名ではなかった」のも事実でした。
そして、家康の大先輩に当たるのは、初めて幕府を開設した征夷大将軍であった源頼朝でした。





我が源氏の影響力を
高めるためにも、守護と地頭を設置する!



そして、守護と地頭の任命権は
鎌倉幕府が握る!
鎌倉時代に源頼朝によって制定された守護と地頭。
守護:各国の軍事指揮官・行政官。地頭などを管轄し、国を治める役職。強い軍事力を持つ。
地頭:領土(荘園等)と民衆(百姓等)を管理する地域の行政官。徴税権・警察権を持つ役職。
各国の権限を守護と地頭に集中させ、昔からある国司を否定しようとしました。



朝廷が任命権持つ
国司は不要!
国司の否定し、その存在を消そうとした頼朝の意図は明白でした。



今後は朝廷ではなく、
我らが世を治める!
調子に乗った源頼朝は、「新たな官位」を持って「最大権力者」となることを望みました。



今、私が任命されている
官位ではなく、新たな官位が欲しい・・・



朝廷の権限は否定するが、
天皇の権威は認めて、共存しよう・・・
当時、すでに天皇の権威が根付いていた日本において、天皇との共存はすでに必須でした。



これまでにない
職を得て、我が源氏を強化するのだ・・・



そうだ!
「大将軍」が良い!
それまでに存在しなかった「大将軍」という官位を思い付いた頼朝。
「大将軍」の新設求めた頼朝:「朝廷の香り」濃厚な太政大臣





私を大将軍に
任命してください!
「平家の天下」に対して、「朝廷の天下」を取り戻すために源氏に協力した後白河法皇。



平氏がいなくなったと
思ったら、今度は源氏か・・・



また武士の連中が
デカい顔をするのか・・・
そもそも、頼朝の「守護・地頭の設置」の要望を叶えたのが後白河法皇でした。
自身が天皇となり、譲位した後に五代・34年の長きに渡って院政を敷き、朝廷を操りました。



これまで頼朝の
言い分は聞いてやった・・・



源氏がある程度の
権限を持つのは分かるが・・・



「大将軍」などという
官位を新たに作って、任命など出来るか!
超強気だった後白河法皇は、頼朝の「大将軍の官位作成と任命」を、のらりくらりと逃げました。





平家にあらずんば、
人にあらず!
日本の中枢を握った平家は、「一世を風靡した」に留まらず、日本の根幹を握りました。
一方で、平家は「既存の朝廷の枠組の中」にいたに過ぎなかった面もありました。



平氏は盛況を極めたが、
天皇の配下であることは変わらなかった・・・



私も同じように
太政大臣などに就任すると・・・



我が源氏は、平氏同様に
どこかの勢力に、いつかは駆逐される・・・
頼朝はこう考えたでしょう。
古今東西の歴史において、栄華を極めても「いつかは落ちる時」が来ます。
自らが平家を駆逐した頼朝にとっては、「自分が駆逐される側」になるのは絶対に避けたいことでした。



太政大臣は、極めて強い権限を持つが、
過去の歴史を引きずっている・・・



そして、太政大臣という役職や名称が
「朝廷のトップ」という印象が強い・・・
実際、太政大臣という名称自体が「朝廷らしさ」の香りが濃厚です。


頼朝の時代から遥か後世には、「征夷大将軍の権限を朝廷に戻す」ために、



徳川幕府の権限を
朝廷に戻すために、太政大臣に就任します!
明治新政府において、三条実美が首相格である太政大臣に就任しました。
頼朝以降にも様々な人物が太政大臣になりましたが、ほとんどは「朝廷内部の権威」でした。
例外は、豊臣秀吉や徳川家康などです。
例外はあるものの、概ね「朝廷内部の権威」であり、明確な「天皇の配下」である太政大臣。



太政大臣では、
新たな世は作れない・・・



新たに超強力な「大将軍」という
名称で、「武家のトップ」を確立したい・・・
そして、頼朝は「大将軍」という、それまでに日本に存在しなかった官位を求めました。



天皇の権威は利用し、
天皇・朝廷とは仲良くしよう・・・



そして、「源氏の世界」を
確立するためには、新たな官位が必要だ・・・
この頼朝の発想は、当時、極めて斬新でした。
そして、大将軍という名称もまた、シンプルで「武家の棟梁」らしい良い名称でした。
もし、ここで朝廷が頼朝の圧力に屈して「大将軍」という官位が生まれていたら。



私は、
大将軍・徳川家康だ!
後世の徳川家康もまた、大将軍・徳川家康に就任したでしょう。