「今川家の一角」の運命しか見えなかった松平元康〜戦国最強の「甲相駿三国同盟」・磐石の体制を強固に固めた今川家〜|徳川家康2・人物像・エピソード

前回は「「最後の勝利者」となった「忍耐の人」徳川家康の実像〜信長と家康の類まれなる超長期同盟・「長い目」で考える超大戦略〜」の話でした。

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徳川幕府初代将軍 徳川家康(Wikipedia)
目次

「今川家の一角」の運命しか見えなかった松平元康

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戦国大名 今川義元(Wikipedia)

三河の城主の生まれであった徳川家康は、初期は松平元康と名乗っていました。

松平元康

私は、三河
土豪・松平家の嫡流である!

後に徳川幕府初代将軍となった家康に関しては、様々な脚色がされましたが、

松平元康

我が松平家は、
守護や守護代の家柄ではないが・・・

松平家・徳川家は、元々は大した家柄ではありませんでした。

今川義元

松平家は、我が今川家が
支配するのだ!

それに対して、駿河・遠江の二カ国の守護である今川家は、名門であり、

今川義元

我が今川家は、
足利将軍家を継ぐ可能性がある家柄だ!

「足利家に後継者なき時は、吉良・今川家から」と言われていたこともあり、今川は超名門でした。

松平元康

なんとか、我が
松平家を再興したいが・・・

若い頃から、人質生活が長かった元康には、一応「城主の子」として、側近がいました。

そして、若き松平元康をずっと支え続けたのが、酒井忠次や石川数正ら譜代の家臣たちでした。

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松平家譜代家臣 酒井忠次(Wikipedia)
酒井忠次

元康様!
我らがおります!

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松平家譜代家臣 石川数正(Wikipedia)
石川数正

元康様!
我らが支えます!

後にその際立った能力を見せた酒井忠次、石川数正の二人ですが、当時は単なる近習だったでしょう。

名前生年
徳川 家康(松平 元康)1543年
酒井 忠次1527年
石川 数正1533年
松平・徳川家を支えた二強・酒井忠次と石川数正の生年
松平元康

我らが松平家には
酒井、石川らがいてくれるが・・・

松平元康

なんと言っても、大した
軍勢もなく、財政力もない・・・

いわば「手足を縛られた状況」で今川家にいた家康は、

今川義元

元康殿は、
我が今川が十分に処遇しますぞ!

松平元康

・・・・・

そのまま「今川家の一角」の運命しか見えない運命でした。

当時、「今川帝国」とも言える勢力を築いていた今川家。

今川は、駿河・遠江・三河に磐石な地盤を築いていました。

戦国最強の「甲相駿三国同盟」:磐石の体制を強固に固めた今川家

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甲相駿三国同盟(歴史人 別冊「戦国武将の全国勢力変遷地図」)

さらに1554年に武田・北条と三国同盟を締結した今川家。

今川義元

我が今川の体制は
磐石!

後に破綻してしまった「甲相駿三国同盟」は、理想の同盟でした。

様々な同盟があった戦国時代において、「甲相駿三国同盟」は戦国最強の同盟でした。

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1941年ヨーロッパ・アジア支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

日本の歴史上、「三国同盟」というと、すぐに思いつくのが「日独伊三国同盟」です。

第二次世界大戦で枢軸国を形成した日独伊三国(軍事)同盟は、それなりに強力な体制でした。

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日独伊三国軍事同盟:上から時計回りに、Adolf Hitler独総統、東條英機 首相、Benito Mussolini伊首相(Wikipedia)

そして、この日独伊三国同盟は、日本の視点から見れば「日独伊」ですが、

米英

強力なGermanyに
JapanとItalyがくっついたか・・・

ヒトラー率いる、猛烈な勢いを持っていたドイツに、日本とイタリアが「くっついた」印象でした。

そして、ドイツとイタリアにとっては、まさに「近い国」であり、共同作戦が可能でした。

対して、大日本帝国は「ドイツ・イタリアと遠すぎる」位置にあり、とても共同作戦は無理でした。

当時は、ドイツの猛烈な勢いに対して、

帝國陸海軍将兵A

ドイツの勢いに
乗り遅れるな!

「ドイツによる欧州全土の制覇」を現実視し、「遠い同盟」を強行した大日本帝国。

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甲相駿三国同盟:中央上から時計回りに、今川義元、北条氏康、武田信玄(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

それに対して、今川・武田・北条の甲相駿三国同盟は、「お互いが接している」理想的同盟でした。

この甲相駿三国同盟を推進したのは、今川家の軍師でもあった太原雪斎と言われますが、

今川義元

我が今川と武田・北条が
手を結ぶか・・・

今川義元

うむ・・・これで我が今川帝国は
磐石となるな・・・

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護武田家・大友家・島津家・今川家・大内家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家
国衆(地侍)三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)

当時、武田も北条もかなりの力を持っていましたが、今川の方が石高は上でした。

さらに、格式において、武田は守護ながら「今川のやや下」であり、

武田信玄

我が武田は名門だが、
今川ほどではないが・・・

始祖・早雲が「政所執事・伊勢の家柄」という説もある北条は、せいぜい「伊勢の傍流」であり、

北条氏康

我が北条は、今川や武田よりも
家格は劣るかもしれんが・・・

甲相駿三国同盟は誰が見ても、「今川義元がトップ」でした。

今川義元

我が今川は北と東に
強固な同盟を締結!

今川義元

南に広がる海には
海運などを切り開く!

今川義元

そして、残るは
西しかないのだ!

今川にとって、陸では「西」しか進む先はなく、「今川帝国の西の先端」に位置した松平家は、

松平元康

我が松平家は、
今川の西の先鋒か・・・

完全に「今川帝国に組み込まれていた」のであり、

松平元康

なんとか、今川家の中で
のし上がって行くか・・・

「今川家でのし上がる」以外に未来はなかった、のが当時の家康=松平元康の実情でした。

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