前回は「連合艦隊「航空戦略の第一人者」草鹿龍之介の実像〜凄まじい勢いで成長した連合艦隊・空母を多数有した世界No.2海軍〜」の話でした。

名家出の文武両道の優等生:「鰻上り」の大日本帝国

1892年に石川県に生まれた草鹿龍之介。
草鹿家は加賀藩の支藩である大聖寺藩の名家の家系でした。
後に、大日本帝国海軍の要職を歴任し、かなり高い知名度をもつ草鹿龍之介。

我が草鹿家は、
加賀大聖寺藩に仕えた名家だ!
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
40 | 大西 瀧治郎 | 航空 | 第十一航空艦隊参謀長 |
40 | 福留 繁 | 大砲 | 軍令部第一部長 |
40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
草鹿前後の帝国海軍の著名人の中では、草鹿は相当家柄が良い方でした。
この点で、名家を継いだ山本五十六や山口多聞と似た境遇だったのが草鹿龍之介でした。
草鹿が生誕した1892年は、大日本帝国が「坂を急速に上がっていた」時代でした。
1890年に「東アジア初」の憲法を施行し、軍備を急速に増強していた時代です。



我が大日本帝国は、
急速に成長している!


幕末から明治維新初期は、欧米と比較して国力が脆弱だった日本。
明治維新を迎えて、正式に大日本帝国が誕生し、



幕末は欧米列強に
振り回された・・・



そして、明治初期は
欧米から一生懸命学んだ!
制度や学問を欧米から「丸ごと輸入」することを強力推進した大日本帝国。
そして、大日本帝国は一気に近代国家になりました。



アジアの盟主であった
中国(清国)に勝利した!
そして、1894年に勃発した日清戦争で快勝した大日本帝国は、正に「鰻上り」でした。



我が国が
猛烈に発展している!



僕も一生懸命
勉強して、帝国に役立つのだ!
そして、草鹿龍之介少年は、小さな頃から勉強熱心で、優等生を貫きました。
一刀流の達人+山岡鉄舟の精神を継ぐ草鹿龍之介:海兵と一高両方合格


地元の小学校から中学校で、ずっと首席に近い成績だった草鹿龍之介少年。
そして、草鹿龍之介のすごいところは、さらに「剣術の達人」であった点でした。



私は小さな頃から、
一刀正伝無刀流を学び・・・



一刀正伝無刀流の
宗家になったのだ!
軍人たるもの、小さな頃から身体の鍛錬が重要でしたが、「剣術の達人」は極めて少数派でした。
一刀正伝無刀流は、幕末の著名人である山岡鉄舟が開祖です。



この山岡は、
徳川幕府の最後の幕臣として・・・



江戸城を官軍から
守り抜くのに、大きな貢献をしたのだ!
幕末において、徳川家幕臣として忠義を貫いた男・山岡鉄舟が切り拓いた一刀正伝無刀流。
剣術は武術も重要ですが、そこに流れる精神も重要です。



山岡鉄舟先生の
一刀正伝無刀流を後世に伝えるのだ!
一刀正伝無刀流の宗家だけでも、大変なことですが、さらに勉学に励んだ草鹿少年。



将来は、学問の道も
良いし、軍人も良いし・・・



迷うが、どちらを
受験しようか・・・
迷った草鹿少年は、



まあ良い!両方受験して
合格してから考えよう!
そして、「現代の東大への道」である一高と海軍兵学校を受験しました。



剣道と同じで、
エイッとやれば、合格できるはず!
そして、一高と海兵(海軍兵学校)の両方に優等の成績で合格した草鹿少年。
海兵合格者は「海兵一筋」が多いなか、「一高も海兵も合格」は極めて少数です。
おそらく、試験内容も大きく違ったと思われる中、



試験内容が違おうが、
俺なら合格できる!


後に草鹿の天敵となる宇垣纏もまた、



私は海兵も陸士も
合格した!
海兵と陸士の両方に合格した優等生でしたが、宇垣の場合は、「両方とも軍人の道」でした。
草鹿のように「一高と海兵合格」は、「あらゆる道」が開かれることになり、



さて、
一高と海兵のどっちに行こうか・・・



やっぱり、
一高かな・・・
気持ちが一高に傾きかけた草鹿少年は、父の助言で西田幾多郎に相談しました。





一高と海兵に
合格したのか・・・



君は大変優秀
なんだね・・・



しかも、剣術の
達人とは、国の宝だ!



君のような人材は
海兵に行って、帝国に貢献するのが良いだろう!
西田幾多郎から「海兵が良い」と勧められた草鹿少年は、



分かりました!
海兵にゆき、帝国海軍に尽くします!
意気揚々と海軍兵学校に向かったのでした。