疾風の男・高杉晋作の目論み〜吉田松陰の強い影響・爆発する久坂玄瑞と高杉晋作・久坂を義弟とした吉田松陰・世子毛利定広の登場と沈黙する高杉〜|高杉晋作5・能力・人物像・エピソード

前回は「幕末維新の火付け役・高杉晋作と生麦事件〜生麦事件から薩英戦争へ・長州筆頭の久坂玄瑞登場・吉田松陰の本音〜」の話でした。

高杉晋作(国立国会図書館)
目次

吉田松陰の強い影響

長州藩士 吉田松陰(国立国会図書館)

とにかく
実行あるのみ!

後に長州藩士にとっては「神に近い存在」となった、吉田松陰。

西郷隆盛・大久保利通たちが同志となってグループで活動していた精忠組が維新の原動力となった薩摩。

それに対して、長州藩は「松下村塾生」が一大グループとなって、維新の回天を成し遂げました。

久坂玄瑞・吉田松陰にとっては「大先生であり神のような存在」である吉田松陰は、とにかく過激でした。

そのあまりの過激さに、後には高杉たちが、

吉田先生・・・
それは少し過激すぎでは・・・

と師である吉田松陰を「落ち着かせようと試みた」こともあるほどでした。

もちろん、師匠である吉田松陰が弟子たちの言うことを聞くはずがなく、

高杉よ!
お前がそんなに弱気な人物とは思わなかったわ!

逆に激昂する始末で、どうにも手に負えない「大先生」だった吉田松陰。

「過激すぎる大先生」ですが、幕末の長州藩の核となったのは事実であり、吉田松陰が久坂・高杉を焚きつけました。

爆発する久坂玄瑞と高杉晋作:久坂を義弟とした吉田松陰

久坂玄瑞(義助)(国立国会図書館)

なかでも、

義助よ。
我が妹を頼む・・・

久坂玄瑞には妹を結婚させて、久坂を「精神的義弟」を超えて「本当の義弟」にした吉田松陰。

高杉・久坂をはじめとする長州藩の優れた若者たちは、「精神的核・中心」の吉田松陰中心に回り始めました。

吉田松陰譲りの「実行力」を重視する高杉晋作・久坂玄瑞。

彼らは「何かやってやろう!」と模索し続けます。

とにかく
実行あるのみ!

そうだ!
その通りだ!

とにかく疾風のごとく、駆け回るのが好きな高杉。

「英国公使館焼き討ち」を久坂に提案するも、久坂は拒否します。

そんなことをやっても
仕方ないだろう・・・

なんでだ?
「攘夷!」と叫んでいるばかりでは、それこそ仕方ない。

外国の連中に、
目にもの言わせてやるのだ!

「何か行動を起こさなければ」と、ひたすら勢い立っている高杉は折れません。

最終的にはしつこい高杉に押されて、久坂も折れてしまいます。

確かに、
晋作の言うこともわかる・・・

やってみようか!

長州藩家老 周布政之助(Wikipedia)

久坂が了承したのの、上司の周布政之助は計画を聞いて、仰天します。

ちょ、ちょっと
待て!

高杉に久坂、
お前たち正気か!

やめておけ!
英国は世界一の国だ。

やめません!
実行あるのみ!

高杉も久坂も、上司の言うことを全然聞きません。

世子・毛利定広の登場と沈黙する高杉

長州藩世子 毛利定広(Wikipedia)

困った、周布政之助は世子(世継)毛利定広に相談します。

高杉と久坂が、
大変なことを計画しておりまして・・・

ところが、彼らは
私の言うことを聞かないのです・・・

分かった。
高杉も久坂も、我が藩の大事な人材だ!

私が、
直々に止めてみせよう・・・

他藩よりも「人材を大事にした」長州藩。

高杉たちは、藩主の世子毛利定広から呼び出しを受けました。

高杉に久坂、
ちょっと待て・・・

お前たちは、私の家臣となる人間だろう。
待てと言ったら、待て!

確かに「藩主の世子」と言うことは「次の主君」です。

上司どころではなく、藩主の世子が出てきては、中止せざるを得ません。

はあ・・・
分かりました・・・

焼き討ち、
絶対にやりたかった・・・

そして、決行中止となります。

ところがこんなことでへこたれる、高杉と久坂ではありません。

やっぱり、
やってやろう!

そうだ!
我ら長州が率先して、攘夷を見せつけてやるのだ!

若き日の伊藤博文(俊輔)(Wikipedia)

結局、高杉・久坂・伊藤博文・品川弥二郎らのメンバーで、英国公使館を焼き討ちにします。

我が国の初代内閣総理大臣である伊藤博文の若き頃は、「焼き討ちなど平気」な人生でした。

高杉さん、
久坂さんに続くのだ!

これはもまた松下村塾で教えを受けた、吉田松陰からの強い影響があったでしょう。

新歴史紀行

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